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見逃していたら絶対オススメの20本~2010年版~ [2010年 ベスト20]

 あけましておめでとうございます。
 
 この記事がアップされるころ、僕はパシフィコ横浜でワーワー盛り上がっていると思います。何で盛り上がってるかっつーと福山雅治のカウントダウンライブです。終わるのが何時なのか知りません。帰れんのかな?(笑)。
 と言うわけで、恒例のベスト20は初の自動更新となりました。

 昨年観た映画は131本。
 このblogをはじめてから、“最も映画を観なかった年”になってしまいました。
 理由はもちろん8月11日に娘が産まれたおかげです。娘が産まれてから観た映画はわずか46本ですから、今年はさらに最低記録を更新して100本に届かないかも知れません。
 でも、いいんです。日々成長する娘から得る感動は、どんな映画にも敵いません。これに勝る感動があるなら、逆に観てみたいもんだ!
 …なんて、負け惜しみです。やっぱり映画は観たい!(笑)

 131本かあ。ちょっと衝撃的な数字です。
 しかも昨年は「松本清張を観る」と「007完全制覇」、さらに「いまさらツイン・ピークス」という3大シリーズを開催したせいで、フツーの映画を観る機会が極端に少なかったですね。これで今年は新しい仕事にもチャレンジする予定なので、どうなることやらって感じです。もう睡眠時間との闘いだな(笑)。

 では今回も製作国別に分けてみましょう。

 アメリカ 43本
 日本 42本
 イギリス 18本
 アメリカ・イギリス合作 6本
 フランス 5本
 韓国 5本
 アメリカ・ドイツ・イギリス合作 2本
 イスラエル、イラン、ドイツ、ノルウェー 各1本
 その他合作 6本

 イギリスが前年6本から一気に3倍になった理由は間違いなく「007」のせいです(笑)。
 また前年1位だった日本が、再びアメリカに抜かれて2位になりました。
 わずか131本とは言え、自信を持ってオススメする2010年のベスト20は以下の通りです。
 どうぞ! 

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インセプション [2010年 ベスト20]

インセプション」(2010年・アメリカ) 監督・脚本:クリストファー・ノーラン

 映画は整合性さえ取れていれば、少々難解でもいいと思う。
 そもそも人の理解力には差があって、一度で理解できる人もいれば、何度も観なければ理解できない人もいる(僕もその一人。だからこのレビューを書くまでに2回観た)。大事なことは「何度でも観て理解したい」と思わせるだけの力があるかどうかだ。映画にはその力さえあればいい。

 他人の夢に潜入し、「人のアイディアを盗み出す」企業スパイ、コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、ある日サイトー(渡辺謙)と名乗る人物から、「夢に潜入してアイディアを盗むのではなく、ターゲットにアイディアを植え付ける」という“インセプション”を依頼される。すでに国際指名手配犯となっていたコブはサイトーのフィクサーとしての力を知り、犯罪歴の抹消を条件にこの仕事を引き受けるが、それはかつてないほど危険な仕事だった。

 「INCEPTION」恐るべし。これは映画芸術の極みだ。

 僕は最近よく「映画とは何か」を考えていた。
 映画は「ストーリーを軸にした娯楽」の一種である。映画のほかには、文字のみで表現される「小説」、絵と文字で構成する「マンガ」、ライブパフォーマンスによる「演劇・演芸」、ユーザーが個々にストーリーを紡いで行く「ゲーム」の4つがあるが、映画はテレビの登場によって一度は客を失い、以降テレビは映画にとっての“最大のライバル”となった。
 確かに「娯楽」という観点では映画とテレビは好敵手かも知れない。しかしメディアとしてはどうか。インターネットの普及によってテレビは双方向メディアとなった。ところが映画は誕生から105年を経てもまだ一方通行のメディアである。この違いは大きい。僕は「映画」と「テレビ」はもはや並べて語るには相応しくない、似て非なるものになったのではないかと思う。
 日本においては特にテレビ局の映画事業参入によって、映画の存在意義そのものがつかみ難くなって来た
。テレビ屋が映画を作るとどういうことになるか。もちろん放送外収入を得るためのビジネスであるからして、観客動員を増やすために「わかりやすい」映画を作ろうとする。またステーションイメージを損なわないために「当たり障りの無い」映画を作ろうとする。そんなドラマはおよそ15分ごとにCMで分断しながらテレビで垂れ流してくれればいい。
 もはや映画はテレビと比肩するものではない。そして映画は再び別の高みを目指さなければならないのだ。そのために映画は何をすべきか。
 「挑戦」である。
 あるいは今再び、映画は映画にしか出来ないことを追求しなければならない。
 「INCEPTION」はそんなことを確信を持って教えてくれる映画だ。

 僕がこの作品で最初に心震わせたのは、コブが“夢の設計”をさせるためにアリアドネ(エレン・ペイジ)のテストをするシーンだった。

 「You have two minutes to design a waze that it takes one minute to solve.」
 (2分やるから、1分で解ける迷路を作れ)とコブが言うと、アリアドネはノートに長方形の迷路を書き始めた。コブは2分でストップをかけて解いてみる。簡単すぎる。「もう一度」
 するとアリアドネは2つ目も同じような迷路を作った。もちろんこれも1分とかからず解いたコブは苛立ちを隠さず、もっと難しいものを作れと指示。ノートを受け取ったアリアドネは一瞬考えてからノートを裏返し(ここがポイント)、今度は丸い迷路を書き始める。2分。ノートを受け取り、解こうとしたコブの手が止まる。「なかなかやるな」。アリアドネの唇の端にほんの少し「してやったり」の表情が浮かぶ。

 これこそ映画にしか出来ない描写だった。
 「2分やるから、1分で解ける迷路を作れ」
 小説にこの台詞は書けても、迷路は見せられない。マンガに迷路は描けるが、時間が表現できない。舞台では観客に迷路を見せるのが一苦労。そしてテレビにこんな難解なやりとりは適さない。
 僕はアリアドネが3つ目の迷路を作る直前、なぜノートをひっくり返したのかが気になっていた。
 先に書いた迷路はコブがページをちぎって捨てている。だから白紙のノートが戻されたにもかかわらず、アリアドネは一瞬考えてノートをひっくり返すのだ。
 実を言うと僕はこのシーンが観直したくて2度観たのだけれど、よくよく見ると最初の2つの迷路は方眼の入ったページに書いていた。けれど3つ目の丸い迷路は背表紙の裏の、まったく白紙の部分に書いていたのだ。
 人間の意識、あるいはアイディアは何かに引きずられることが多い。引きずられないためには全くの白紙から始めなければならない。つまりこのシーンでは“夢の設計”の基本理念と、アリアドネの飛び抜けた才能を同時に表現して見せたのだ。
 僕はこのシーンを観られただけでも幸福だった。これからの映画が目指すべき方向性はこのシーンに集約されていたと言ってもいい。

 そして忘れてならないのが、これがクリストファー・ノーランのオリジナル脚本であるということ。
 映画でしか表現できないことを、映画の文脈で作り上げた、映画芸術の極み。
 148分間。
僕たちはクリストファー・ノーランの夢の中を旅するのだ。それも今まで一度も観たことのない夢の中を。夢だからこそ整合性が取れているのかどうかなど、誰にも分からないのだが、コブの持っている「独楽」がすべての矛盾を呑み込む。もちろん「独楽」以外の細かいエクスキューズの設定も見事でとにかく感心させられた。
 驚きの映像はデジタルの恩恵だが、発想そのものに拍手を送りたい。一見の価値十二分にあり。
 クリストファー・ノーラン恐るべし。

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チェイサー [2010年 ベスト20]

チェイサー」(2008年・韓国) 監督・脚本:ナ・ホンジン 脚本:イ・シンホ

 ワーナーブラザースとディカプリオがリメイク権を獲得した作品と聞いたので、一応wowowでの放送を録画しておいたのだけれど、R-15指定のクライム・サスペンスと知って正直腰が引けていた。というのも、なんとなく痛みを伴う作品のような気がしたからだ。
 観てみたら案の定痛かった。けれど恐ろしく面白かった。何よりどのシーンを取っても不快指数が高いのがいい。このじめじめとした質感は韓国映画ならではだ。

 元刑事のジュンホ(キム・ユンソク)が経営するデリヘルの女たちが相次いで失踪。
 ジュンホは女が手付金を持って逃げたか、客を装ったブローカーに転売されたと思い調べていたが、女たちが失踪したのはある特定の客に呼ばれた後であることが判明する。ジュンホに雇われていた子持ちのミジン(ソ・ヨンヒ)は、まさに今その男ヨンミン(ハ・ジョンウ)に会うところだった…。

 少なからず韓国映画を観ている僕にも見覚えのないキム・ユンソク。映画の主役を張るにはあまりにも地味な役者がこの作品に圧倒的なリアリティをもたらした。
 ディカプリオは自分でこの役をやりたがっているのだろうか。だとしたらリメイク版は期待できない。
 一昔前なら間違いなくチェ・ミンシクにやってもらいたかった役。はじめは金と自尊心のために動いていた人間のクズが、やがて自分の中にくすぶっていた「正義感」に突き動かされ、犯人を追い詰めて行く…。こんな役はイメージの出来上がったディカプリオには難しい。僕はキム・ユンソクを知らないからこそ、ドラマがどちらに転ぶのか予想も付かず、最初から最後まで緊張感を持ったまま観ていられた。ディカプリオでは途中ミスリードさせることすら難しいだろう。

 「殺人の追憶」を思い出す。
 いつ爆発するか分からない、ガスが充満した部屋にいるような不安感。どうしようもないほどの悪い胸騒ぎ。ヒリヒリするような緊張感。ひとことで言えば僕はこの映画に「ゾクゾクした」。
 韓国映画の特徴でもある雨と夜のシーンが多い。雨と夜のいいところは、画面から余計な情報を排除できるところと、雨と暗闇の向こうから何が飛び出してくるか分からない怖さを秘めているところだ。観客があまり好まないものを並べて、観客を無意識のうちに不安に陥れるテクニック。大いに勉強になる。
 しかし一番恐ろしかったのは犯人であるヨンミンの心の闇から出て来たものだ。ヨンミンの取調べシーンでは、まったく予想もしない動機が明らかにされ、観客は驚きと共に納得を得るだろう。僕はこのエクスキューズに唸ってしまった。
 クライム・サスペンスとしては1級品。予定調和の無さもいい。そういう意味でも「娯楽映画」とは言い難く、五臓六腑にずどんと響くヘヴィな作品である。佳作。

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サラの鍵 [2010年 ベスト20]

「サラの鍵」(2010年・フランス) 監督・脚本:ジル・パケ・ブレネール 脚本:セルジュ・ジョンクール

 第23回東京国際映画祭コンペティション作品。
 公式サイトの作品解説に惹かれて観ることにした。全文引用。
 

 「ユダヤ人迫害の動きが過激化する1942年のパリ。幼い弟を納戸に隠したサラは、その鍵を手にしたまま収容所へ送られてしまう…。過去と現代が交差し、歴史が封印していた悲痛な記憶が掘り起こされる感動のベストセラーの映画化」

 ユダヤ人の迫害と聞くと、ドイツ国内でのホロコーストかと思いがちだが、実は第2次大戦中、ナチスの占領下にあったヨーロッパ全土で起きていたことを、まず認知しておく必要がある。恥ずかしながら僕は詳しく知らなかった。
 そして1942年のパリ。ナチスによるユダヤ人一斉検挙が始まるが、実際にユダヤ人を捕まえに来たのはフランス警察だったという事実。これがサラの悲劇を生むことになる。
 時は流れ現代のパリ。ジャーナリストのジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)は1942年に起きたユダヤ人迫害事件を取材するうち、いまはジュリアが住んでいる家でかつて起こったユダヤ人一家の悲劇にたどり着いてしまう。その家族の長女の名をサラと言った…。

 歴史的背景を把握しておかなければ、理解に時間を要する箇所がところどころある。しかし、それを差し引いてもこれは素晴らしく良く出来た作品だと思う。ときどき「より理解を深めるために原作を読みたい」と思わせる映画があるけれど、これはまさにそんな一品だ。
 終戦から65年を迎えた今年。今を生きる僕たちと先の大戦の関係性は限りなく希薄になりつつある。けれど想像力をまともに働かせれば戦争の傷跡を見つけることは容易で、例えば人の記憶にしても、ただそこにフタがされていたり、何かが上塗りされているだけだということを、この映画は教えてくれるだろう。

 本編の序盤は戦時中のサラと、現代のジュリアをカットバックさせて進行して行く。
 中盤過ぎ、ジュリアの1人称でドラマが転がり始めると、観客と戦争との距離は近くなっていく。それは今を生きるジュリアが一歩一歩時間を遡りながらユダヤ人迫害の歴史に歩み寄って行くからだ。
 そして後半、サラの息子の登場によってドラマは大きく舵を切っていく。日本人にはなかなか理解し難い、「ユダヤ人とは一体何者なのか」に迫る展開だが、最終的には人種の壁を乗り越える結末に多くの観客は心を打たれるだろう。僕はドラマに没入し過ぎて、自分が泣いていることすら一瞬気付かずにいた。パリに行って間もないせいもあって、あの美しい街で起きた悲劇が胸に痛かった。

 さっそく原作をAmazonで購入。
 読み終えた頃にもう一度観たいので、ぜひ日本で劇場公開して欲しい。


 【11月30日追記】
 400頁超の大作読了。
 原作を読んで2つ分かったことがある。ひとつは作品の深み。もうひとつは脚本の巧さ。
 サラとジュリアが置かれた環境、状況、心境は当然原作が詳しい。しかし劇的なクライマックスは、原作よりも脚本の方がキレがいい。映像の力も大きいだろう。ここのカット割りは微妙な伏線からして見事だった。
 一方、映画でもそのまま流用された、過去と現代を交差させる構成は原作のままで、特にサラとジュリアの人生が60年というときを隔ててシンクロする中盤のクライマックスは圧巻。徐々に“運命の糸”がたぐり寄せられる様は、より丁寧な筆致で描かれている原作で堪能することを勧める。
 最後に「サラの鍵」が書かれるきっかけとなった出来事を書き残しておきたい。
 1995年7月16日。シラク大統領(当時)は、450名のフランス人警官が、13,152名(うち子ども4,115名)のユダヤ人一斉検挙を行い、彼らを無残な死に追いやったことを国家として認め、謝罪したのだという。この演説を聴いて“フランスの犯した罪”を知った人たちが多数いたそうだ。原作者のタチアナ・ド・ロネもそう。
 奇しくも僕は、先週サイパンで太平洋戦争の取材をしている最中に、この原作の3分の1を読んだ。フランスとサイパンで起きたことはまるで違うけれど、僕たちが戦争のことを知らなさ過ぎるという点は同じだと思った。
 この作品にもぜひ触れて、知ってもらえると嬉しい。
 傑作。

サラの鍵 (新潮クレスト・ブックス)

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  • 作者: タチアナ・ド ロネ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/05
  • メディア: 単行本

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アイズ・ワイド・シャット [2010年 ベスト20]

アイズ・ワイド・シャット」(1999年・アメリカ) 監督:スタンリー・キューブリック

 妙な胸騒ぎのするスゴイ映画だ。
 ジャンルとしてはサスペンスだがショッキングな映像も、ショックの強い編集も皆無。それどころか非常にゆったりとしたカメラワークの中で、役者はそれ以上にスロウな演技を披露している。
 ストーリーはシュニッツラーの原作「夢小説」(1926)に比較的忠実で、奇妙な出来事が次から次へと起こるのだが、映画で注目すべき点はそれらがまるで高いところから低いところへ流れる水のように、自然な流れに見えるところ。
 サスペンスにありがちな観客の心拍数を上げる演出の逆を行き、しかも奇妙な出来事をさも平凡な日常のように切り取るキューブリックのテクニック。僕が感じた妙な胸騒ぎは、映画の文法をことごとく裏切った、この「テンポ」と「展開」によるものだろう。こういう映画との出会いは決して多くない。だから文句なくワクワクする。

 主人公の医師ビル・ハーフォード(トム・クルーズ)は、妻アリス(ニコール・キッドマン)からの告白により、性的な妄想から逃れられなくなる。やがて
妻に対する疑惑の念からビルのバランス感覚は狂い始め、自身のテリトリーを逸脱して不可侵の領域へ足を踏み入れて行く…。

 思えば“胸騒ぎ”はファーストカットから始まっていた。
 ニコール・キッドマンのフルヌードのバックショット。そしてバックに流れるショスタコーヴィチの「ジャズ組曲第2番ワルツ2」。
 なぜ冒頭からキッドマンのフルヌードなのか。なぜメインテーマがワルツなのか。
 前者はともかく後者の「ワルツの起源」を調べたてみたら、こんな思いが浮かんだ。
 「冒頭の映像と音楽はキューブリックの前口上ではないか」
 ワルツは18世紀、宮廷文化に取り入れられて世界中に広まるが、その起源は13世紀にハプスブルグ帝国の農民が踊っていたヴェッラーと言われている。
 ヴェッラーはゲルマン文化初の「男女が身体を密着させて踊る激しいダンス」で、当時は汚らわしいという理由で法律によって禁止されたが、娯楽も少なく監視の目も届かない山間部の農民たちの間でヴェッラーは踊り継がれたのだそうだ。
 僕はワルツの根本に「男女の営み」があると見た。
 そこでキューブリックの前口上。
 
 「これから始まる物語は突飛な作り話ではない。誰も否定できないセックスにまつわる寓話である」

 続ければ「ニコール・キッドマンのヌードはこの映画の売り物ではない」となる。だから惜しみなくファーストカットで見せた。もちろん掴みの意味もあっただろう。けれど「観客の目を早く慣らすことによって作品の本質を見失わないようにした」キューブリックの配慮とも受け取れる。その証にキューブリックは続くシーンでキッドマンの排泄シーンを用意した。しかも無造作にトイレットペーパーまで使わせて、「余計な妄想はするな」と言わんばかりだ。

 妙な胸騒ぎはビルの立ち位置にも関係している。
 観客からすればビルはまともな人間に見えるが、劇中ではマイノリティとして扱われている。そして特異な性癖の持ち主たちがマジョリティとして描かれているのだから、観客は“まともな自分”に居心地の悪さを覚える。
 キューブリックはこうして、個々の内面に潜む性に対する欲望と向き合うよう促しているのだろう。そしてアリスがしたのと同じように観客にもカミングアウトさせ、更なる高みへ誘う。そこでキューブリックは「理性と本能」の解釈を質すのだ。
 僕は本作から、「本能とは分かち合う相手を見出せれば許されるもの。理性とは分かち合う相手を見出せないときに求められる抑止力」と解釈した。

 一編のサスペンス映画として本作を観ると、欠けているピースがいくつもある。
 何よりビルが無くしたはずの“仮面”が自宅のベッドに置かれていた謎については一切触れられていない。それでも僕はエンドクレジットで再びショスタコーヴィチのワルツを聴きながら、まるで「サモトラケのニケ」のような存在感と完成度に感銘を受けていた。キッドマンに始まりキッドマンに終わる159分は、キューブリックの緻密な計算によって作られた至高の芸術品である。

 僕は食わず嫌いだった。
 当時、私生活でも夫婦だった2人が、セックスにまつわる映画に出るというゴシップ的な要素が気に入らなかったし、そもそも性的なテーマが好みじゃない、という理由もあった。けれどそんな人にこそ観て欲しい「自己再発見」映画。
 スロウな演技を求められながら、粗を出さずに演じきったトム・クルーズも素晴らしい。

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夢小説・闇への逃走 他一篇 (岩波文庫)

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  • 作者: シュニッツラー
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1990/11
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第9地区 [2010年 ベスト20]

第9地区」(2009年・アメリカ/ニュージーランド) 監督:ニール・ブロンカンプ

 観ていて一瞬たりとも気が抜けなかった。
 理解し難い世界観。凝視しても認識し難いビジュアル。そして1秒後に何が起きるか分からない予定調和ゼロの構成。
 まったく素晴らしい。
 アカデミー作品賞にノミネートされたのも大納得。これは近年まれにみる革新的なSF映画だ

 “革新的”の意味は「アバター」とは別次元である。「アバター」は映画製作における技術な革新で、「第9地区」はストーリー上の設定が革新的なのだ。

 南アフリカ、ヨハネスブルグの上空に突如現れた巨大宇宙船は地球侵略を目的としていなかった。彼らは宇宙船の故障によって地球に漂着し、自分たちの惑星に帰ることも出来ずにいたのだ。やむなく彼らは難民として地球で暮らすことになり、それから28年が経とうとしていた。
 その間に、人間とエイリアンとの共同居住区「第9地区」はスラムと化し、トラブルが絶えなかったため、彼らを管理する超国家機関MNUは、エイリアンたちを強制収容施設へ移動させる計画を立てていた…。

 僕たちの世代に「宇宙人」とは「侵略者」というイメージが強い。それは昭和40年代から50年代にかけてのSFテレビドラマやアニメーションの影響だが(個人的には「ウルトラセブン」によって、そのイメージは固定されたと思う)、1977年の「未知との遭遇」と1982年の「E.T.」、つまりはスティーブン・スピルバーグによって僕たちの固定観念は覆されてしまう。「友好的な宇宙人の登場」である。
 それ以前「地球の静止する日」に登場したクラートゥも友好的な地球外生命体ではあったが、残念ながら日本公開は1952年。僕たちは観ていない。また今になって思えば、「スーパーマン」も「ウルトラ兄弟」も友好的な宇宙人だが、彼らの多くは普段人間の姿をして地球で暮らしていたので、彼らを宇宙人という意識で見ていなかった。
 と、言うわけで1982年以降のSF映画に登場する宇宙人は、「友好的」か「攻撃的」のいずれかに分けられた。その概念を打ち破ったのが本作である。まさかエイリアンを難民として描こうとは。
 その容姿から“エビ”と人間に蔑まされる彼らは、第9地区内での生活を余儀なくされ、時に軍の人間に銃を向けられ、役所の人間の言いなりになり、ジャンク屋に媚びてネコ缶(地球に来て大好物になった)を売ってもらったりするのだ。
 これはまぎれもなくアパルトヘイトである。
 「アバター」でジェームズ・キャメロンは地球人を侵略者として描いたが、ピーター・ジャクソンはそれ以上の大胆な発想を得たのである。クリエイターとして素晴らしいと思う。僕もほんの少しだけクリエイティブな仕事に携わっていて、「斬新な」とか、「画期的な」とか、「今までにない」いろんな企画を求められるが、この作品を観て、それは“常識を覆すことでしか成し得ない仕事”であることを知った。

 ドキュメンタリー風という手法で撮ったのも巧かった。
 ドラマは“エビ”に立ち退きを通達するMNUの職員ヴィカスに密着するカメラ目線で描かれ(そのルールは観客に気付かれないよう、途中で反故にされるが)、手持ちカメラの荒れた画角と、まったく無名の俳優たちによって、リアリティの獲得に成功している。
 また後半ドラマが進むにつれ、ヒトと“エビ”の協力が描かれたのも興味深かった。利害関係され一致すれば、種は違えど手を組むのが生物共存の原則である。つまり同じ理想を掲げることによって、差別は撤廃できるということだ。

 いろんな意味で勉強になる1本だった。ただのSF映画と片付けるのはもったいない。
 観て損はないと思う。

第9地区 Blu-ray&DVDセット(初回限定生産)

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その土曜日、7時58分 [2010年 ベスト20]

その土曜日、7時58分」(2007年・イギリス/アメリカ) 監督:シドニー・ルメット

 こんな邦題で誰が観ると思うか、ソニー・ピクチャーズの諸君。
 不愉快になるほど意味不明である。不愉快な理由は原題があまりに詩的で素晴らしいからだ。
 「BEFORE THE DEVIL KNOWS YOU'RE DEAD(あなたが死んだことを悪魔が知る前に)」。
 ガンズ・アンド・ローゼズがこんな曲を出しててもいいと思うほど美しい。これに比べて邦題のセンスの無さはなんだ。中味が面白いだけに、それを殺しているタイトルに憤慨する。

 シドニー・ルメットは70年代に「オリエント急行殺人事件」、「狼たちの午後」、「ネットワーク」と言った名作を手がけた監督だが、82年の「評決」以降は完全に低迷していたらしい。何故かは知らない。プライベートで嫌なことでもあったのか。
 ところが2007年に公開された、この「BEFORE THE DEVIL KNOWS YOU'RE DEAD」(邦題で呼ぶ気になれん)は素晴らしく面白い。何かいいことでもあったのか。

 娘の養育費を満足に払えないハンク(イーサン・ホーク)は、大手不動産会社に勤める兄のアンディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)から強盗計画を持ちかけられる。兄は金には不自由していないはずだった。疑心暗鬼になりながらも目先の金に困っていたハンクは計画に乗ることに。話を聞くと兄が狙っていたのは、2人の両親が経営する宝石店だった…。

 本作の大きな特徴は、①ひとつのシークエンスを2度以上、②時間軸を入れ替えて、③別の人物の視点で描いていること。これが終盤近くまで繰り返し続き、登場人物たちのおぞましい内面を暴いていく。
 この作品を観て強く思うのは、「人はいかに身勝手な生き物であるか」ということと、「人は少なからず誰かを恨んで生きている」ということ。ここで起きる事件は不幸の極みだが、登場人物が抱える問題はとてもありきたりだ。だからこそ身震いがする。
 私たちの人生、実は“綱渡り”である。一歩踏み違えただけで奈落に堕ちて行く。それをぜひとも実感して欲しい。

 フィリップ・シーモア・ホフマン、イーサン・ホーク、マリサ・トメイ、アルバート・フィニー。
 この4人の真剣勝負だけでも見応えがある。特にイーサン・ホークの演技は感動的。

 これ以上は何も読まず、何も聞かず観ることをオススメする。隠れた名作。
 但しR-18。刺激は強い。

その土曜日、7時58分 [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
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イングロリアス・バスターズ [2010年 ベスト20]

イングロリアス・バスターズ」(2009年・アメリカ) 監督・脚本:クエンティン・タランティーノ

 こんなブログをやっている僕が言うのもなんだが、他人の映画の評価なんて聞くもんじゃない。
 あくまでも「観ようと思っている映画の」ということだけど、本作の劇場公開時、僕は先に観た知人から、「イマイチ」と聞いてしまう。それを真に受ける僕も悪いのだが、それが最初に聞く感想だったりすると、以降はこの「イマイチ」というマイナス評価が基準になってしまうので、これをプラスに盛り返すのはかなり難しいのだ。
 いや、他人の評価など信じなければいいのだ。ましてや自分で観てもいないのに、「イマイチらしいよ」なんて無責任に喧伝すべきじゃない。…と猛省した。というのも、僕にこの「イングロリアル・バスターズ」はゾクゾクするほど面白かったからだ。

 舞台は第二次大戦中のフランス。これは“ユダヤハンター”と呼ばれるハンス・ランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)に家族を皆殺しにされたユダヤ人女性ショシャナ(メラニー・ロラン)と、情け容赦ないナチ狩りで知られるユダヤ系アメリカ人部隊“バスターズ”による壮大な復讐の物語。と同時にタランティーノが独自に紡いだ完全なるホラ話である。

 僕は本作でようやくクエンティンの映画の見方が分かった気がする。
 彼の映画はストーリーを追いかけないほうがいい。僕がこの映画のどこにゾクゾクしたって、すべてはクエンティンのテクニックである。
 農家の軒下に隠れていたショシャナは、ナチス兵の機関銃から逃れ、森に向かって走って行く。映画ははじまって間もない。観客は誰もこの少女に感情移入していない。逃げるショシャナを認めたランダ大佐がゆっくりとワルサーを抜く。必死に逃げるショシャナ。狙いをつけるランダ大佐。音楽の音量も上がって行く。次に聴こえるのは銃声!と思いきや、音楽はカットアウト。ランダ大佐は銃を降ろし、「まあ、いい」と呟く。「達者でな!ショシャナ」
 この緩急。映画の文法をことごとく逆手に取る演出に僕はゾクゾクした。そうなのだ。クエンティンの映画はヘタにストーリーなど追わず、左脳ではなく右脳で愉しむべきなのだ。僕はクエンティンに手玉に取られることがこんなに気持ちいいとは思いもしなかった。


 クエンティンはディテールにこだわる人でもある。
 中盤、ショシャナとランダ大佐は時を経て、あるレストランで邂逅する。先に気が付いたのはショシャナ。正体を知られまいと席を立つ彼女を制し、着席を促したあとで、大佐は「シュトルーデル」というデザートをショシャナに勧める。
 僕はこのシーンを観ながら、なぜシュトルーデルを食べるのだろうと思った。ただ相手を見たままの会話よりも、ときに目線を外すことが出来るシチュエーションは巧いなと思った。
 注文をするとまもなく2皿運ばれて来て、食べながら大佐はいくつかの質問をする。しかし、それはショシャナの正体に関わることではない。続いて大佐はショシャナにタバコを勧め、「他にも聞きたいことがあったけど、なんだったかな」と呟く。大佐のクローズアップ。と、不意に「思い出せないくらいだから、大したことじゃないだろう」。
 大佐は立ち上がり去って行く。残された皿。大佐が食べ残したシュトルーデルにタバコの吸い殻が突き刺さっている。
 僕はこの瞬間は意味が分からなかった。しかし、あとで調べてみて分かった。シュトルーデルはユダヤの伝統的なお菓子だったのだ。
 “ユダヤハンター”の無言の圧力。クエンティンの仕掛けに僕は今さら背筋が寒くなった。

 ショシャナを演じたメラニー・ロランが美しい。ときおりユマ・サーマンの面影を観ることが出来るから、間違いなくクエンティンの趣味だろう(笑)。
 ランダ大佐を演じたクリストフ・ヴァルツ。ドイツ語で「Ich bin herrlich!」、フランス語で「Je suis splendide!」、イタリア語で「Io sono splendido!」、日本語で「素晴らしい!」。「イングロリアス・バスターズ」は間違いなく彼の映画だ。

 「キル・ビルVol.2」で下げていた、僕の中のクエンティン評はこれで一気に盛り返した。いや「キル・ビル」も僕の見方がまずかったのかも。いつか観直してみよう。

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原爆の子 [2010年 ベスト20]

原爆の子」(1952年・日本) 監督・脚本:新藤兼人

 今日僕は、フツーの人よりちょっとだけ多く映画を観てるからって、なんだか知ったかぶりしている自分がすごく恥ずかしくなった。僕はこの映画のことを知らなかった。そんな僕が言うのは心苦しいけれど、これは日本人としてゼッタイに観なければならない極めて重要な1本である。

 なによりこれは、戦後はじめて「原爆」を直接取り上げた映画だということ。
 公開されたのは1952年8月7日。広島に原爆が投下されて丸7年後の同日である。実はこのタイミングにも重大な意味がある。
 1952年4月28日。日本は7年に渡るGHQの占領地政策が終了し、主権を回復した。
 それまで商業映画、演劇の類はGHQに台本や大意を提出し、認められなければ原則不可という時代である。当時東宝で芸能担当だった森岩雄さんの手記にはこんな1文がある。
 「CIE(占領軍)は日本の民主化に必要な宣伝啓発に資する劇映画の製作を勧め、単なる娯楽映画の製作を喜ばない傾向があった」
 そんな時代に反戦、反核を謳う映画をGHQが許すはずなかった。ましてや「原爆投下は戦争の早期終結に極めて重要な一手だった」とする国である。新藤兼人もひたすら静かに好機を待っていたに違いないのだ。そして占領政策は終わり、映画は作られた。
 本作の公開にアメリカが苦虫を潰したであろう様子は、翌53年に起きた事件で分かる。
 「原爆の子」はカンヌ国際映画祭に出品されることになるのだが、アメリカからの圧力がかかり、日本の外務省が受賞妨害工作を試みたのだと言う。驚くなかれ日本の外務省が、である。
 そんな作品を、いくら時間が経過しているからとは言え、日本人が知らなくていい理由はない。新藤兼人の執念を、画面の端々から感じ取って欲しい。

 戦後、瀬戸内の小さな島の小学校で教員をしていた石川孝子(乙羽信子)は、広島に投下された原爆で家族を全員失っていた。
 ある夏休み。原爆被災したときに勤めていた幼稚園の園児の消息を確認しようと、孝子は広島市内へ足を運ぶが、萬代橋で一人の物乞いに目が留まる。それはかつて孝子の家で働いていた使用人の岩吉爺さん(滝沢修)だった…。

 作品の内容についてとやかく言う気はまったくない。
 ここに描かれたドラマは、原爆によってもたらされたいくつかのエピソードでしかないが、すべての反核映画はここからスタートしているのだ。それだけで充分価値がある。
 また原爆投下後の広島で初めて全編撮影された映画でもあるらしい。
 フィルムに刻まれているのは、まぎれもなく1952年の広島の様子である。広島に住む人はもちろん、広島に行ったことのある人なら多くの人が、いくつかのシーンで、その場所を特定することが出来るだろう。当時すでに建築が始まっていた原爆資料館が映し出されたときには、「時は流れて風景は変わっても、そこは紛れもなく原爆の被害に遭った土地」であることを痛感させられてしまった。

 劇中登場する子どもたちの明るさが心の支え。ふんどし姿で川にどんどん飛び込む元気な子どもたちの姿を見ていたら、今の広島があるのは間違いなくこの世代の頑張りにあったと確信した。そして人間の強さを実感する映画でもあった。
 秀作。

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原爆の子―広島の少年少女のうったえ (1951年)

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  • 発売日: 1951
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(500)日のサマー [2010年 ベスト20]

(500)日のサマー」(2009年・アメリカ) 監督:マーク・ウェブ

 このタイトル。暑さに弱い妻は「500日も夏が続く映画ならゾッとする」と真顔で語ったが、もちろんそんな映画じゃない。これはサマーという名の女の子と恋に落ちる青年トムの物語。表面上は恋愛映画。ただしその実態は違う。
 
 恋愛映画はそのほとんどが時系列で構成される。
 仮に結末が冒頭に置かれたにせよ、本編はその結末に辿り着くプロセスを時系列で描くのが順当である。具体的には主人公の日常を追いかけながらエピソードを積み重ね、主人公の感情のうねりを観客に伝える。
 本作の場合、
サマーの心情には深く触れることなく、トムの一喜一憂だけがひたすら描かれるが、もちろんそんな作品もゴマンとある。韓国映画の傑作「猟奇的な彼女」もその典型だ。
 ただし本作が他の恋愛映画と決定的に違うのは、時間軸を大きく前後させ、しかもエピソードがかなり断片的である点だ。一般的な恋愛ドラマが1から10まで順を追った連続するエピソードで構成されているとすれば、「(500)日のサマー」は1、9、3、7、10と言った不規則な飛び石状態なのである。
 一体なぜか。それは本作が「恋愛映画」ではないからだ。
 これは一人の平凡な青年の、一目ぼれから始まる恋愛をサンプルに、「運命の出会い」がこの世に存在するのか否かを考える「恋愛論映画」なのである。
 この映画では恋愛論を展開するために必要最低限のエピソードが抽出され、恋愛論のために時系列は無視される。そしてストーリーテラーが存在するのは、観客に恋愛論を語るためである。

 良く出来ていたと思う。
 恋愛の甘い部分と苦い部分がうまく出ていて、まもなく子どもが産まれる47歳のオッサンにも充分愉しめた。
 僕に言わせるなら恋愛とは、「時に憎悪にまで発展する『嫌い』という感情を生む種」である。男も女も一旦愛した相手だからこそ、裏切られたときに怨む。それは興味のない人間に対しては絶対に芽生えない感情なのだ。
 そんな恋愛論をぶちたくなる小さなエピソードが本作には満載されている。それらは観客の“恋愛経験値”によって、クスッと笑えたり、ブスッと胸を刺されたりするだろう。僕は20年まえの嫌な記憶がよみがえって心が痛かった。

 サマーを演じたゾーイ・デシャネルが文句なく可愛い。
 彼女に一目ぼれした男性の観客は、完全に疑似恋愛をすると思う。サマーとの恋の行方はどうあれ、未婚の男子はエンディングで、ちょっとした勇気をもらうはず。男女の友達同士で観るのもきっと楽しい。
 佳作。

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