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ツイン・ピークス(1990~1991年) [2010年 レビュー]

原題:TWIN PEAKS  監督:デヴィッド・リンチ、マーク・フロストほか

 諸般の事情により自宅で映画を観るのが難しい環境になった。
 けれど僕のストレス解消の良薬ある「映画鑑賞」を止めるわけにもいかず、そこで考えたのが入浴時間の有効活用だった。
 幸いDVD再生が出来る防水テレビは持っていた。ただ平均2時間の映画を一気に観るのは辛い。せめてTVドラマサイズならと、ストックしてあるDVDの棚を見ながら一考。
 「前略おふくろ様」、「北の国から」、「刑事コロンボ」、「キャプテン・スカーレット」と見渡して、最後に視界に入ったのが「ツイン・ピークス」だった。
 リリースされると聞いた瞬間、迷わずAmazonで予約し購入したけれど、3年前に途中まで観てそれっきりだったリンチの傑作シリーズ。パイロット版さえしのげば、あとは毎回60分弱で行けるだろうと踏んで、このシリーズ完走を今日から目指すのである。
 パイロット版を含むと全30話。
 先が長いので、観るたびに短いレビューを書いて随時更新しようと思う。

 ※年をまたいでしまったので加筆。
 忙しさにかまけて、ついに2年越しの鑑賞になってしまった。そうこうするうちにwowowでも再放送が始まり、OAに負けないよう先を急ぐことにする。


 【パイロット・序章オリジナル版/監督:デヴィッド・リンチ】
 記憶にあるオープニングタイトルと若干違うことに気が付く。
 調べてみると確かにワンカットずつの尺が違っていたりする。意外な自分の記憶力に驚きつつ、タイトル明けのファーストカットにまたしても驚く。長く続くツイン・ピークスシリーズの最初の登場人物は製材所のオーナー、ジョスリン・“ジョシー”・パッカード(ジョアン・チェン)だった。
 「なぜジョシーが?」
 リンチの思惑を図ろうとした側から、さらに驚くことが。実はファーストカットからすでに不穏な旋律の「LAURA PALMER'S THEME」が流れていたのだ。そしてカメラは一切寄り道することなく観客を“事の発端”へと導いていく。まるで前戯なしのセックス。しかし抗えない。観客は最初から“そのつもり”でいるからだ。
 改めて観てみると、「パイロット版」としての要素がかなり強い。ABCテレビからシリーズ制作の資金を得るべく、とにかくエピソードは“伏線”だらけで、このあとどう収束させるつもりでいるのか、誰もが「やれるものならやってみろ」と言いたくなる作りになっている。この辺りはリンチとフロストのしたたかな計算が、そのまま脚本に反映されたのだろう。否応なしに続きが見たくなるラストシーンは圧巻。僕ももう後戻りできない(笑)。

 【第1章/監督:デュウェイン・ダナム】
 グレート・ノーザン・ホテルを望む滝の美しいショットから始まる。
 ツインピークスのロケーションは時折息を呑むほど美しいが、住人たちは息を潜めたくなるほど怪しい。おそらく人と自然の調和が全く取れていないせいで、視聴者は無意識のうちに“座りの悪さ”を感じるのだろう。僕たちが「ツイン・ピークス」にそわそわしてしまうのは、不穏な音楽のせいだけは無かったということだ。
 登場人物たちの個性もいきなり際立って来た。
 クーパー捜査官(カイル・マクラクラン)は究極の甘党ぶりを見せつけ、オードリー(シェリリン・フェン)はクーパーに対してさっそく小悪魔の本領発揮、保安官のハリー(マイケル・オントーキン)はドーナツの頬張りかたで実直な凡人であることアピールした。
 リンチ&フロストの恐ろしいところは、第1章でもさらに「伏線」を引いて回るところだ。その極めつけはキラー・ボブ。まさか第1章で登場していたとは…。

 【第2章/監督:デヴィッド・リンチ】
 この回での重要なキーワードは「夢」
 ローラが死の当日の日記に残した一文、「“J”に会うのが心配」の“J”とは誰なのか。クーパーはその謎を解くべく、夢で教わったと言う実験を始める。戸外で18.44メートル離れたところにガラス瓶を置き、頭文字が“J”の名前を呟きながら、ガラス瓶めがけて石を投げると言うもの。これはクーパー曰く「演繹法的テクニック」で、心と体を使って直感を呼び覚ます方法なのだそうだ。この怪しい実験を入口にして「ツイン・ピークス」は精神世界へと突入して行く。
 もうひとつの重要な「夢」は赤い部屋(レッドルーム)。シリーズ後半の鍵となるシークエンスという印象が強かったけれど、早くも第2章で登場していて驚く。
 ここで年老いたクーパーがローラそっくりの女性に耳打ちをされる。夢から覚めたクーパーは「犯人が分かった!」とハリーに電話を掛けるのだが…。
 オープニング。ホーン家のディナーシーンからリンチの奇妙な演出が炸裂していて楽しい。
 新たな“J”、国境を越えたカジノ「片目のジャック」もこの回で登場する。

 【第3章/監督:ティナ・ラズボーン】
 グレート・ノーザン・ホテルにクーパーを訪ねてくるハリーとルーシー(なぜルーシーも?)。ハリーが「(犯人は)誰だ?」と聞くと、クーパーは悪びれること無く「覚えてない」と言う。
 実はこのシーン。改めて観てみると、とても重要なシーンだったことが分かる。フロスト&リンチはここで「ドラマはローラ殺しの犯人探しをするものではない」と暗に宣言していたのだ。では何を見せるドラマなのか。それは「ツインピークスという田舎町に潜む狂気」である。
 第3章でようやくローラ・パーマーの葬儀が行われる。ここは主要登場人物が一同に介するという意味でもレアなシーンだが、一方では「ツインピークスの縮図」にもなっていて、初心者にも分かり易い設定がいい。
 ここで新たな存在も登場する。
 まず森の奥に潜む邪悪な存在と向き合う自警団“ブックハウス・ボーイス”。第2章で保安官補のホークとガソリンスタンドを経営するエドが、人差し指で目じりをなぞる仕草でコンタクトをとるアレだ。
 そしてローラと瓜二つの従兄弟マデリーン。シェリル・リーの一人二役である。
 回を重ねるごとに登場人物たちの怪しい関係がつまびらかになり、いよいよ「ツイン・ピークス」ワールドの入口に立った気分。

 【第4章/監督:ティム・ハンター】
 ローラの母、セーラの証言を元にキラー・ボブの似顔絵が作られ、さらに「割れたネックレス」の幻を見たとの話が出て来る。手袋をした手が石を持ち上げ、下からネックレスを取り出す幻を見たと。これは序章のエンディングで描かれたシーンを指している。
 第4章ではここまでに引いて来た伏線を使って、さらなる謎の存在を明らかにする。例えば、ネックレスの話を聞いていたドナはジェームズと共に割れたネックレスを埋めた現場に戻ってみるが、驚くことにネックレスは消えている。しかもその片割れを精神科医のジャコビーが持っていることが第1章のエンディングで明らかになっている。
 「ツイン・ピークス」は点と点が一本の線で繋がっても、それが「ヒント」なのか「ミスリード」なのか分からないところが、面白さの要因のひとつなのだろう。これは間違いなくテレビシリーズだからこそ出来る“味”である。
 新しく登場したのがダブルRダイナーの女主人ノーマの夫。道端で寝ていたホームレスを車で轢き服役していたハンクが釈放されて出て来ようとしている。この役者が、知る人ぞ知る元F1ドライバーのゲルハルト・ベルガーにそっくりで、なんだか懐かしいやら可笑しいやらで、彼だけまともに見られずに困っている。
 第4章はここまでの中では比較的おとなしめの演出。嵐の前の静けさか。

 【第5章/監督:レスリー・リンカ・グラッター】
 天候はいつも曇天のイメージが強いツインピークスに、美しい紅葉シーンが登場する。
 序章からここまで、住民たちのただならぬ関係を描いてきた本編だが、ノーマの夫が釈放されたことによって住民の紹介は一通り終わったことになる。しかし相関図の完成とはならないところが「ツイン・ピークス」の面白いところだ。
 一番の驚きはパッカード製材所の土地を狙ってキャサリンと共謀し、放火を企てていたベンジャミンが、その裏でジョシーとも何らかの結託をしようとしているところ。今回は思わせぶりなワンカットがあっただけで、その真相は次回以降に続くようだ。
 思わせぶりと言えばラストシーン。かねてからクーパーに興味津々だったオードリーが、ついにクーパーのベッドに潜り込み、帰りを待っていた。男の視聴者はその多くが「据え膳食わぬは男の恥」と思ったに違いない(笑)。さてクーパーはどうするのか。これも次週のお楽しみだ。
 この回でどうしても気になったのは、ジャコビーのカウンセリングによって引き出されたボビーの告白。自分はローラのせいでヤクの売人になったと泣きながら明かすのだが、ボビー役のデーナ・アッシュブルックの芝居が下手すぎて、ウソの証言をしているんじゃないかと思わせた。真相はいかに。

 【第6章/監督:キャレブ・デシャネル】
 オードリーファンをやきもきさせた一件は、クーパーの「したいことと、すべきことは別なんだよ」という名言で落着。そりゃそうだ。なんたって全米3大ネットワークの地上波なんだから、FBI捜査官と女子高生の淫行など見せられるワケがない。これが「ツイン・ピンクス」とかってタイトルのAVだったら展開は違っただろうけれど(笑)。ちなみにカミングアウトしておくと、僕はオードリー派。
 ここからジェームズ、ドナ、マデリーンの3人による犯人探しが始まる。その手段の一つとしてマデリーンがローラに変装するのだが、シェリル・リーの演じ分け方が見事。ヘアメイクの力も大きいとは言え、ちゃんとマデリーンがローラに変装しているように見えるところがスゴイ。
 第6章で驚かされるのは、前回ジャック・ルノーの山小屋から連れ帰った九官鳥に、かなり重要なセリフを言わせること。九官鳥の覚えていた言葉で事件が進展するなんて、小学生レベルのミステリーである。しかもその九官鳥をレオが暗殺するから面白い。
 もうひとつはジョシーと仮釈放中のハンクの関係。なぜハンクがジョシーの家にいるのか。相関図はまだまだ完成しない。
 そして我らがオードリーは舌先でチェリーの枝を結ぶ特技を披露して「片目のジャック」に潜入。ああ、ぜひ指名したい(笑)。

 【第7章/監督:マーク・フロスト】
 ここでようやくフロストが登場したと思ったら、第7章はこれまでの伏線を一気に発火させる重要な回だった。というのもパイロット版完成後、ABCから許可された製作許可は第7章までで、この先はオプションだったようだ。となれば続きが観たくなるよう作るのは当然のこと。まさに衝撃のラストが用意されている。
 ではどれほどのことが起きたのか整理しよう。
 ジェームズとドナがジャコビーの家に忍び込み、ローラのネックレスとカセットテープを盗む。
 ジャコビーが何者かに襲われる。
 ローラ殺しの容疑者としてジャック・ルノーが逮捕される。
 レオの放火により製材所が火事になる。
 ハンクが“ある契約”によってジョシーから9万ドルを受け取る。
 ルーシーの妊娠が発覚する。
 ネイディーンが自殺を図る。
 ジェームズのバイクからコカインが発見される。
 鉈でボビーを殺そうとしたレオがハンクに撃たれる。
 リーランドがジャック・ルノーを殺害する。
 …そして衝撃のラストは、「クーパー銃撃さる」。ここまで見せて放送を打ち切ったらABCの株価に影響しただろう(笑)。

 【第8章/監督:デヴィッド・リンチ】
 第7章は1990年5月23日に放送されシーズン1が終了。シーズン2のスタートとなる第8章は同年9月30日の放送だったそうだ。つまりリンチはアメリカ全土に広がった「ツイン・ピークス」フィーバーの中、4ヶ月ぶりに放送する第8章を作った。そこには4ヶ月のブランクで膨らんだ視聴者の期待に応えようとした形跡と、一方4ヶ月のブランクを利用したある変化が見てとれる。
 最大のポイントは“巨人”の登場だ。このオカルト的要素の導入は「ツイン・ピークス」の世界観が理解されてこそ可能なことだった。他にもマデリーンがパーマー家のカーペットに幻影を観たり、細かいことだがリーランドの頭髪が一夜で真っ白になったりする。また視聴者が一番気を揉んだだろうクーパーの安否についても、会話の成り立たない老ホテルマンを登場させるなどして視聴者をイライラさせ、「これが単なる謎解きミステリードラマ」でないことを再度アピールしているのだ。
 もうひとつ驚く変化はドナ役のララ・フリン・ボイルの人相。彼女はこの4ヶ月で高校生には見えないオトナの顔になってしまった。これはクーパー役のカイル・マクラクランとの交際が原因だと思う。その事実を知ったリンチの即興的な演出が、妙に大人びたドナの登場になったんじゃないだろうか。
 さてこの回では、ジャコビーがローラのペンダントを持っていた理由と、エドとネイディーンのなれそめ、ネイディーンのアイパッチの理由、レオとキャサリンの殺害を企んだ首謀者がホーン兄弟であることが分かる。個人的には「片目のジャック」に潜入したオードリーの身が心配。

 【第9章/監督:デヴィッド・リンチ】
 リンチ連投。まだまだ伏線が張られていく。
 冒頭、FBI鑑識員アルバートがクーパーと朝食中に、クーパーの元相棒である捜査官ウィンダム・アールの話を切り出す。引退して精神病院にいたアールが脱走したと。
 前回ドナに何者からか届けられたメッセージ「食事宅配サービスをチェック」。これはローラが生前やっていた、外出がままならない老人へ食事を届けるボランティア。それを引き継いだドナはスミスという名の人物を知る。
 ローラの死後、周囲から浮いた存在になってしまったリーランド。彼がボブの手配イラストを見て、パーク・レイクスにある祖父の別荘の隣に住んでいた男だ、と思い出す。
 病院でこん睡状態のレオ登場。これで製材所火災の日に死んだかもと思わせていたうちの1人は生きていたことが判明する。キャサリンの安否は以前不明。
 極めつけはボビーの父、ガーランド。いつも軍服姿の彼がクーパーに自分の特殊任務を明かす。それが外宇宙の電波のモニター。解読してもほとんどは意味不明だという文字の中に、クーパーが打たれた日に限って突然「フクロウは見かけと違う」という文字と、「クーパー」の文字が。いよいよ宇宙にまで風呂敷を広げてしまった(笑)。
 マデリーンがローラの家でキラー・ボブの幻影を見る。
 そして、片目のジャックから脱出できないオードリーがクーパーに助けを求める電話をかける。しかし途中でブラッキーに切られてしまう。いよいよ絶体絶命!

 【第10章/監督:レスリー・リンカ・グラッター】
 シリーズの3分の1を迎えても、まだまだ新キャラが登場する。
 ハロルド・スミス。ローラが食事配達をしていた顧客の一人。一見聡明な青年に見えるが、何らかの事情で屋外に出ることが出来ず、自宅で洋ランを育てている。
 ホーンズ・デパートの紳士服売り場に勤めるトリメイン。保安官補のアンディの恋敵で、ルーシーによると妊娠の原因を作った男。紳士服のモデルのような風体が可笑しい。
 ジャン・ルノー。殺されたジャック・ルノーの兄。ブラッキーと結託してオードリーをシャブ漬けにし(やめてー!)、ホーンから身代金を巻き上げようと企む。
 そして今回もキラー・ボブの手配書が新たな展開を生む。
 保安官事務所に靴を売りに来ていた片腕の男・フィリップは、キラー・ボブの手配書を見てめまいを起こす。ハリーに「トイレでクスリを飲む」と断ったフィリップはやがて失踪。クーパーはトイレで注射器を発見し、巨人から聞いた言葉を思い出す。「薬品なしで男は指さす」
 精神科医のジャコビーがクーパーの催眠術を受け、ジャック・ルノー殺しの犯人探しに協力する。ジャコビーの潜在意識に眠っていた顔はローラの父、リーランドだった。
 ジェームズとドナの関係も危ういものに。ジェームズとマデリーンの関係を怪しみ、行き場を失ったドナはハロルドの家を訪ねる。ところがそこで「this is the diary of Laura Palmer」と書かれたノートを発見してしまう…。

 【第11章/監督:トッド・ホランド】
 このドラマで最初の逮捕者となるのは、皮肉なことにローラの父親のリーランドだった。
 保安官事務所でジャック・ルノーを殺したのかとハリーに問い詰められたリーランドはこう答える。
 「娘が殺された。こんな絶望感が君に分かるだろうか。体の奥深くで全細胞が悲鳴を上げるんだ。聞こえるのはその悲鳴だけ。そうだ。私があの男を殺した」
 ここでのリーランド役、レイ・ワイズの芝居が素晴らしい。第1章以降、奇怪な行動ばかり演じてきたけれど、それが本当に怪しく見えるのだから、やはりこの人は巧い役者なのだ。
 さて新たな展開。
 ジャン・ルノーがベンジャミン・ホーンに接触。娘の命と交換にホーンのビジネス・パートナーのポジションと、現金12万5千ドル(安っ!)をクーパーに運ばせろと条件を出す。
 シアトルに行っていたジョシーが帰宅。そこでキャスリンの死亡が伝えられるが、遺体が出て来ていないことがピートの口から明らかになる。
 ここ数回、グレート・ノーザンでクーパーたちの様子を伺っていた謎の東洋人がいよいよ動き始める。この男はジョシーからピートへ「いとこのジョナサン」と紹介されるが、もちろんいとこを頼って遊びに来たわけではなく、製材所の土地の売却についてジョシーと会話をする。その流れでジョシーは「ハンクが厄介」と漏らすと、いとこのジョナサンは深夜のダブルRダイナーでハンクを襲うのだった。

 【第12章/監督:グレーム・クリフォード】
 この章では2つの“奪取”が描かれる。
 まずクーパーとハリーによるオードリーの奪還。
 これは傷の痛みを和らげるため、毎朝15分多くヨガをやり始めたクーパーが部屋で逆立ちをしたとき、ベッドの下に落ちていたオードリーからの手紙を第6章以来ようやく発見したことで、オードリーの居場所が明らかになるという寸法。
 そしてもうひとつはドナとマデリーンによる「ローラの日記」の横奪。
 FBIに押収されたのとは違う、2冊目の「ローラの日記」の中に事件の真相が隠れているのでは、と睨んだドナがオードリーと同じく身体を張って奪おうとするのだが、寸でのところで失敗をしてしまう。
 さてこの回にクーパーとスターンウッド判事のこんなやりとりがある。
 「Cooper, how long you been here? (いつ町へ?)」
 「Twelve days,sir. (12日前です)」
 この回は12章。つまり「ツイン・ピークス」は1話が1日分に相当しているということらしい。初めて気が付いた。ということはクーパーはまだ撃たれて5日しか経っていないことになる。それでオードリーを担いで逃げるのは大変だと思うのだが(笑)。

【第13章/監督:レスリー・リンカ・グラッター】
 個人的に最も好きなキャラクター、クーパーの上司であるゴードン・コール(デヴィッド・リンチ)が登場。なぜリンチ自身が俳優として登場することになったのか、その経緯は知らないが、ゴードンを難聴という設定にしたのはリンチだろう。ただ声を張り上げるだけでいいなら芝居もラクだ。そのゴードンがクーパーに語った「ピッツバーグのようなことが起きてはならん」とはどういう意味か。
 片目のジャックから救出されたオードリーは父ベンジャミンと対面し、宣戦布告じみた啖呵を切る。はたしてオードリーは父の罪をどう暴いていくのか。
 片腕の男。彼にはマイクという名の“人に宿る霊”がついていて、クーパーの前でその人格を表した。そして「ボブは人間に寄生し、人の恐怖と快楽を食っている」と証言する。また「彼の本当の顔を見ることが出来るのは、神が選んだ者か、呪われた者だ」と。
 ところで第11章から登場したアジア人の投資家タジムラ。実は彼は製材所の火事で死んだと思われていたキャサリンだと暗に教えられる。グレートノーザンに居合わせたピートとのやりとりで観客に気付かせようとしている点が面白い。

【第14章/監督:デヴィッド・リンチ】
 リンチが監督している回は、やはり映像からしてリンチらしさがにじみ出ている。特に視聴者を不安に陥れる演出は巧い。この回での出色は、自宅に戻ると切り出したマデリーンを(ボブに憑かれた)リーランドが襲うというシークエンスだ。
 これまでも何かと奇妙なことが起きてきたパーマー家のリビング。レコードプレイヤーには曲が終わって戻るに戻れないレコード針が所在無げに一定のリズムでノイズを発している(これが効果音として後々効いてくる)。そこへセーラが「呪怨」の伽耶子のように階段を下りてきて失神。
 この「普通なら気に留めるはずのもの」を無視して、鏡の前で身なりを整えるリーランドは、まぎれもなく強烈なホラーである。丸太おばさんから巨人へ。そしてロードハウスのステージに立つ女性歌手へと続ける前後の文脈も見事。さすがである。
 さらにハロルドが自殺し、第二の「ローラパーマーの日記」が保安官に押収され、オードリーの詰問によってベンジャミン・ホーンがローラとの関係を告白。それをクーパーに密告することでベンは逮捕される。目の前でベンの逮捕を目撃したタジムラは(やはり)その正体を夫であるピートに明かす。
 このあと怖いのは植物人間となっているレオの覚醒だ。レオが登場する度に早くも身構える自分がいてちょっと可笑しい。

【第15章/監督:キャレブ・デシャネル】
 「ツイン・ピークス」のVHSレンタルが始まった当時、僕は最期まで観ているはずなのに、今回の展開には驚いた。まさかマデリーンがボブ≒リーランドに殺害されるとは…!しかもローラのときと同じくビニールに包まれて発見されるのだ。シェリル・リーもまさか2度同じ最期を迎えるとは思っていなかっただろう。合掌(死んでないって!)。
 それよりも、この回で「ローラ殺しの犯人はボブ」と宣言したことになる。いや、それも正しいのかどうか、記憶の飛んでいる僕には定かではなくなって来た。
 また、これまで互いをリスペクトし合っていたクーパーとトールマンがはじめて対立する。ベン・ホーンの24時間の拘留期限を超えるタイミングで起訴か釈放かの決断を迫られたトールマンがベン・ホーンを逮捕したのだ。クーパーは「彼は犯人ではない」と進言するのだが、トールマンは聞く耳を持っていなかった。どうなる!クーパーとトールマンの間柄は。
 サブキャラにも展開が。ダブルRダイナーのノーマの母が「再婚をした」とやって来る。この再婚相手、金融アナリストということになっているが、実際はハンクのムショ仲間だったというオチが付く。なんちゅー展開や。

【第16章/監督:ティム・ハンター】
 いよいよシリーズ最大の山場。
 ローラ・パーマー殺しの犯人が明らかになり、登場人物たちもそれを周知する重要な回である。
 一方でルーシーの妊娠騒動も継続中。父親はアンディなのか、それともデパート勤めのディックなのか。ルーシーは2人に産む宣言をし、産んだ後の血液検査で本当の父親が誰なのかを突き止めると言う。このときのディックのタバコが火災報知機に反応し、リーランドの壮絶な最期を演出することになる。
 シリーズはこの16章で折り返したことになるが、ここまでの展開を支え、視聴者の興味を牽引してくれたのは、ローラの父リーランド演じるレイ・ワイズの演技力だったことに気付かされる。序盤こそ娘を失って気が触れた父親のように見せつつ、実はボブが取り付いていたという役どころは、かなり難しい役だったと思う。それをさりげなくこなしていたことに気付かされるのが、リーランドがリーランドに戻る最期のシーンである。クーパーの腕の中で懺悔をし、天に召されるまでのシーンは「ツイン・ピークス」の中でも1、2の名シーンと言っていいだろう。
 ドラマはここからさらに深みにはまっていく。実体のないボブ相手にどう決着をつけようと言うのか。

【第17章/監督:ティナ・ラズボーン】
 前回から3日後。パーマー家に街の住人たちが集まり、リーランドの通夜が始まる。
 ゆったりと美しいカメラワークでその様子が切り取られ、これまでの16本とは趣の異なるタッチで進行する。なんとも穏やかな空気が流れているのは、一応事件が解決した安堵から来るらしい。だが視聴者にとってはそれこそが最大の違和感。
 “ボブはどこへ行ったのか?”
 今回のオープニングは不安を隠しながら平穏を描くというホラーの常套手段を使ったようだ。
 クーパーは町を離れる準備を進めている。そんなとき製材所のキャサリンが保安官事務所に現れ、ハリーを驚かせる。結局いくつかの事件は片付いていないのだ。
 さらに保安官事務所で別れを惜しんでいたクーパーの前に、FBI捜査官とカナダ警察の警官が現れる。オードリー救出作戦が法に触れた可能性があるという。そしてクーパーは停職。背後には黒幕の存在がのちに明らかになるが、問題はラストシーン。キャンプをしていたクーパーの目の前でガーランド少佐が姿を消してしまうのだ。
 このオカルトチックな展開。「ツイン・ピークス」は後半どこへ行くのだろう。
 そしてこの回、オードリーが久しぶりに登場。クーパーに「あなたは完璧なところが欠点ね」と名言を吐く。ああ、可愛い(笑)。


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ゼロの焦点 [2010年 レビュー]

ゼロの焦点」(2009年・日本) 監督:犬堂一心 脚本:犬堂一心、中園健司

 「松本清張を観る」第11弾(うおい)。
 2010年元旦から始まったこのシリーズ。今年最後の1本も松本清張がいいだろうとリメイク版を選んだ。広末涼子がたとえ誰のものになろうと(再婚相手が“ロウソクおじさん”とは思わなかったけれど)好きなものは好きなので、見納めには丁度いい。

 今年1月に観た1961年版の「ゼロの焦点」は期待したほど面白くなかった。
 面白くなかった理由のひとつは「なにかと説明が足りない」からだった。オリジナル版の上映時間は100分弱しかなく、だったらあと20分ほど伸ばして、より丁寧に説明を加えれば、かなり面白い作品になるだろうと思った。そこでリメイク版の尺を確認したら131分だと言う。なるほど。と言うことは「オリジナルの反省を活かして、リメイクはこの尺に落ち着いたんだな」と僕は勝手に想像をした。これを人は「思い込み」と言う。

 確かにオリジナルより丁寧に描かれたシーンも多い。
 特に先のレビューで「僕なら少なくとも憲一が巡査をしていた時代のシーンを入れる」と書いたけれど、まさしくそのシーンが挿入されていて、憲一(西島秀俊)と久子(木村多江)の関係性はより分かり易くなった。しかしどういうわけだが今回も鵜原憲一と曽根益三郎が同一人物であることを禎子に気付かせるシーンは作りが甘い。禎子のナレーションで明らかにするのはいいが、なぜフォローの映像をインサートしないのか。理解に苦しんだ。

 それにしても、昭和30年代初頭のドラマをいま映画化して、どこまで室田佐知子(中谷美紀)や久子の悲劇が伝わるだろうと気になった。と言うのも劇中の台詞で「パンパン」というワードが出て来たときに、その使い方が唐突過ぎると思ったからだ。
 GHQ占領下時代、米兵を相手に売春行為を働く女性。「ゼロの焦点」は当時社会の底辺にいた女性たちの中から、たった2つのエピソードを拾い上げまとめたものである。彼女たちも好き好んでパンパンに身を落とした訳ではなく、生きるためには抗えなかった運命を、どこまで現代の観客に理解させるかが、リメイク版に必要な要素だったと思う。それにしては背景の書き込みが圧倒的に足りていない。

 前後するが、オリジナルから書き足されて気に入ったシーンは他にもある。
 ひとつは雪の降る夜。事件の真相を知った久子が道路の崖を背にして、ナイフを持った佐知子に語りかけるシーン。ここでの木村多江の芝居は絶品だった。“薄幸女優”と呼ぶのは失礼だと知りつつ、けれどさすがと思わずにはいられなかった。本編で唯一泣けるシーン。
 もうひとつはクライマックス。佐知子が加担していた選挙で勝利し、マスコミの前で「女性の地位向上」を訴える佐知子に、禎子が「マリー」と声を掛けるシーン。いずれもオリジナルには希薄だった「被害者の想い」が解き放たれる瞬間だったと思う。
 ただし、もっともっと面白く出来たはず。もったいない。

 広末は可愛いけれど禎子にはミスキャスト。彼女は誰かに寄り添って生きる“扶養家族”の役でこそ魅力を発揮する女優だと思った。つまり「おくりびと」の美香や「龍馬伝」の平井加尾など“待つ女”に向いているのだ。禎子は待っていられずに行動してしまったせいで“女の強さ”が求められた。その芝居は彼女にはハードルが高いように思う。中谷美紀と木村多江が巧かっただけに頭ひとつ沈んだように見えたのは残念だった。

 さて。2010年もこれにて終了。
 今年はたった131本の映画しか観られなかったけれど、それなりいい映画に出会ったと思う。
 来年はどんな映画に出会えるのか、それもまた楽しみ。
 みなさま、どうぞよいお年を。
 今年のベスト20は年をまたいだ瞬間に発表します!

ゼロの焦点(特典DVD付2枚組)<Blu-ray>

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  • 出版社/メーカー: 東宝
  • メディア: Blu-ray

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トイ・ストーリー3 [2010年 レビュー]

トイ・ストーリー3」(2010年・アメリカ) 監督:リー・アンクリッチ

 iTunes storeで映画のレンタルが始まった。気になるそのシステムはこうだ。
 storeの映画コーナーで見たい映画を探し、「レンタル」のボタンを押すとダウンロードが始まる。ダウンロードの時間は通信環境によって異なるが、1時間43分の「トイ・ストーリー3」をWifiでダウンロードしたときは約60分。意外とかかる。
 レンタル料金は200~400円。レンタル期間は30日間で、30日を過ぎるとデータは自動的に消滅する(スパイ大作戦かよ)。では30日の間なら何度でも観られるかと言うとそうではなく、(ここが最大のポイントだが)1秒でも視聴したら、その瞬間から48時間後にデータは消滅することになっている。つまり何度でも観られるのは48時間の内なら、という条件である。
 30日ルールを厳密に言うと、期限切れの1秒前に観始めれば、期限を過ぎても最後まで観ることが出来る。ただし一度でもポーズボタンを押したら、それ以降は観られなくなるから要注意。

 こんな新しいシステムで最初に観るのはやはり「トイ・ストーリー」が相応しい。
 僕はこれをMacBookAirの11インチモニターで観たのだけれど、映像の美しさはまったく申し分なかった。そもそもCGが得意とする描写は「人為的に製造されたもの」と僕は認識している。特に合成樹脂で作られたものを再現する能力は100%に近く、だからプラスチックで作られたオモチャの描写はお手のもの。加えてオモチャたちの動きも完璧で(今回はバービー人形の足の動きが気に入った)、この“オモチャらしさ”を損なわないCGの再現力が「トイ・ストーリー」にリアリティをもたらしていると言っていいだろう。
 しかし優れているのは技術力だけではない。僕は本作をシリーズ最高傑作だと思った。特に人間の五感にある“感動”という名のツボを的確に押さえた脚本は完璧だ。

 1作目から10年後。アンディは17歳になり、大学進学を控えて引っ越しをしようとしていた。
 かつて遊んだオモチャを捨てるか残すかを悩んだアンディは、カウボーイ人形のウッディだけ引っ越し先に連れて行き、あとは屋根裏部屋にしまうつもりだった。ところが、ちょっとした行き違いでその他のオモチャはゴミ捨て場に出されてしまう。「このままでは捨てられる!」と思ったバズ以下のオモチャたちは、近くの託児施設行きのダンボールの中に潜り込むが、そこはオモチャにとって地獄のような場所だった…。

 まず微笑ましいのは、「オモチャは子どもに遊んでもらえることを何より喜びとしている」という大前提でストーリーが作られているところだ。アンディに遊んでもらえなくなったオモチャたちはすっかり消沈していて、それどころか捨てられるかも知れない、という不安感が今回のドラマを面白くしている。
 さらにテーマも一貫している。それは「物と仲間を大事にする心」である。
 観ればすべての人が「自分がかつて遊んだオモチャはどこに行っただろう」と考えるはずだ。
 僕は大好きだったタイガーマスクのビニール人形をまず思い出した。悪役レスラーたちも、赤き死の仮面、ザ・エジプトミイラ、ミスター・NO、ミスター・カミカゼと揃っていた。
 思えば彼らはいつ僕の前から姿を消したのだろう。もし彼らがウッディーやバズのように生きていたら、当時どんな話をしていたのだろう。…そんな想像力を働かせることが出来たなら、「トイ・ストーリー3」のクライマックスは号泣必至だ。自分自身の思い出せない“別れ”が胸に刺さり、まさしく心痛めるからである。

 僕はこれまでマーケティングに裏打ちされた“ディズニーらしい”脚本が好きじゃなかったんだけれど、今回は不覚にもそう言えなくなるくらい泣いてしまった。しかも子どもとオモチャの力では抗いようのない“別れ”が描かれていたのも、僕には大きかった。
 調べてみたら、今回チーフ・ライターを務めたのは「リトル・ミス・サンシャイン」でアカデミー脚本賞を受賞したマイケル・アーントだった。これが初のディズニー・ピクサー作品だったとか。おお、なんだかホッとした(笑)。
 最後に、CGキャラクターの表情やアクションの付け方も「3」になって格段に進歩したと思う。セルアニメの時代からディズニーが得意とした飛び跳ねるような表情は、CGになっても受け継がれているところが素晴らしい。

 映画の面白さがすべて詰まった文句なしの傑作。

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  • 出版社/メーカー: ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
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ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない [2010年 レビュー]

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」(2009年・日本) 監督:佐藤祐市

 2ちゃんねるスレッドから生まれた作品。
 ここで言う「ブラック会社」とはネット上のスラングで、「待遇が劣悪な会社」という意味なのだそうだ。またの名をブラック企業。僕はその意味を今日まで知らなかった。

 主人公の大根田真男(小池徹平)は高校中退の中卒でニートだったが、母親の死をきっかけに就職を決意。そこで奮起し基本情報技術者試験(FE)の国家試験を取るも、学歴が響いて入社試験はことごとく落ちまくっていた。
 そんな中、ある一社が採用してくれたのだが、その会社は仕事の出来ないリーダー品川祐)、空気の読めないガンダムオタク(池田鉄洋)、仕事は出来るが究極の引っ込み思案(中村靖日)、社長とデキている経理など、社員構成からして最悪のブラック会社。しかも“マ男”と呼ばれるようになった真男は入社早々徹夜仕事をさせられる…。

 テレビ業界にも似たようなハナシはゴマンとある。
 僕が知る中で一番のケッサクは、番組制作会社に就職の決まった新人が、出社1日目ということでスーツを着て会社に言ったら、その日から5日間家に帰れず、スーツ姿のままAD業務に奔走し、いつの間にか「スーツ」というあだ名が付いていた、というハナシ。
 学歴社会から脱落した若者は、うまく就職できたとしても気合と根性で仕事をする羽目になる。27年前の僕もその一人だったので仕事の形態は違うものの、マ男にはすんなり感情移入出来た。ちなみに僕のキャリアで一番最悪な仕事は、年末から元旦までの7日間、スタジオにこもりきりで番組の編集に立ち会い、その7日の間に気を失ったことはあっても、寝た記憶がないということだが、まあそれはいい。とにかくこれは現代の「蟹工船」という声もあるようだ。

 原作は読んでいないが、マンガ版を斜め読みした。比べると映画版は構成とビジュアルのデフォルメが過ぎる気がする。
 原作の良いところはプログラマとしてはど素人のマ男が、2週間後に納期が迫る仕事を入社日に無理やり押し付けられ、いくつもの障害を乗り越えてながら完成に向かうという“縦軸”がしっかりしていて、マ男に軸足が乗った描写になっているからとても読み易い。しかし映画版はマ男以外のキャラクター描写に時間をかけ過ぎていて、散漫になっている気がしないでもない。
 それでも観ていられるのは、社会の最下層で生きる労働者の生き様がなかなか面白いからだ。面白いイコール共感できる、ということでもある。不思議なもので日本の大概の企業には、①ロクに仕事をしない上司、②空気を読めない同期、③個人的感情に支配される経理、といった新人から見ると「お荷物」でしかない社員がゴマンといる。ところが入社から何年も経つと、自分がそのどれかに当てはまっているケースがあるから、このドラマは面白いのだ。

 ドラマのゴールはありきたりで感動は薄いけれど、若者に向けてのメッセージとしては悪くない。
 「どうせバカなんだから、四の五の言わずに死ぬ気で働け」
 死ぬ気で働いたら、周囲は中卒や高卒の声にも耳を貸すだろう。学歴社会から脱落しても、それで人生の落伍者になるわけじゃないのだ。そして。
 「その気になればいつからでもやり直すことが出来る」
 こんなメッセージも込められていることだろう。その志は悪くない。

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない [DVD]

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  • 出版社/メーカー: アミューズソフトエンタテインメント
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ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない (新潮文庫)

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  • 作者: 黒井 勇人
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/09/29
  • メディア: 文庫

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オーケストラ! [2010年 レビュー]

オーケストラ!」(2009年・フランス) 監督:ラデュ・ミヘイレアニュ

 公開館数が少なかったからなのか、それとも作品が良かったからなのか、劇場はそれなりの賑わいだったと聞く。僕も銀座の劇場まで足を運んだけれど、チケット売り場の行列に驚いて断念した。
 そして先月。ブルーレイがリリースされてはじめて、僕はメラニー・ロランが出演していると知った。「イングロリアル・バスターズ」で一目惚れしたフランス人女優。ならばとレンタルせずブルーレイを直接購入したのだが、実はこういうケースで映画の出来栄えに満足したことは意外と少ない。

 今は劇場の清掃員として働く元・天才指揮者のアンドレイ(アレクセイ・グシュコフ)が、昔の仲間を集めてパリで公演するまでを描いた作品。…と、この程度の内容かと思って観始めたら、意外と奥が深くて驚いた。これは旧ソビエトの共産党支配と、ユダヤ人弾圧に対する強烈な皮肉をジョークに包んだ作品である。
 ブレジネフ政権時代。ボリショイ交響楽団の指揮者だったアンドレイは、ユダヤ人演奏家の排斥に従わなかったため、自らも解雇されてしまう。楽団を追われたユダヤ人演奏家たちは、救急車の運転手や引っ越し屋、タクシー運転手、果てにはポルノ映画の音響効果など、さまざまな職に就き日々の生活を送っていたが、ボリショイ劇場の支配人あてに届いたパリ・シャトレ劇場からの出演依頼のFAXを、支配人の知らないところで手に入れたアンドレイは、かつて排斥された楽団員を集めてパリへ乗り込もうと決意する。そこには自らの名誉回復と、パリで活躍するスターバイオリニスト、アンヌ=マリー・ジャケ(メラニー・ロラン)への想いがあった。

 ストーリーのアウトラインは悪くない。
 しかし、積み重ねるべきカットと、語るべき言葉が圧倒的に足りない。非常に残念な映画だ。
 まず30年前、退団に追い込まれた楽団員たちの無念さが描かれていない。彼らは日々の暮らしに精一杯で過去を振り返っている場合じゃないなら、そう説明しなければならない。そして何のためにアンドレイの誘いに乗るのかも伏線を引いておかなければ、パリに到着してからの彼らの行動を理解しかねる。
 アンドレイとアンヌの関係性と、アンヌの生い立ちに関するエピソードこそ完全に説明不足。そしてドラマの肝であるアンヌの母親についても、カットと言葉が足りなさ過ぎる。僕は途中まで「アンヌはアンドレイの娘」と思い込んいた。でなければアンドレイがアンヌに執着する理由を見出せなかったからだ。
 ところがアンヌはアンドレイの娘ではなかった(そのほうが僕には驚きだった)。いや、賢明な観客は監督の言葉足らずを補い、理解出来たのかもしれないが、少なくとも僕はまったくついて行けなかったし、だからこそクライマックスの演奏も僕の心には届かなかった。

 ブルーレイを買ったおかげで、メイキングを観ることが出来た。
 バイオリニストを演じるメラニー・ロランの演奏シーンは当然吹き替えだが、数カットは自身で弦も押さえたんだろうと思わせる見事なカットがある。しかし実際メラニーは弓を動かすだけで弦は一度も押さえていない。これには驚きだった。一体どうやって処理したのか、その種明かしはメイキングにはないが、それでも堂々たるソリストを演じきったメラニーには感心した。
 クライマックスでの演奏の演技が成功しなければ、映画そのものを台無しにしてしまうプレッシャーは相当なものだっただろう。その重圧に打ち勝ったメラニーは純粋に評価する。
 映画を台無しにしたのは役者ではなく監督である。コメディ部分はうまく演出していただけに、肝心のドラマが薄っぺらかったのが本当に残念だ。

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ロビン・フッド [2010年 レビュー]

ロビン・フッド」(2010年・アメリカイギリス) 監督:リドリー・スコット

 タイトルを聞いて僕がまず思い出すのがコレ。

ロビンフッド [DVD]

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 ピーターパンとどこか違うのか分からない衣裳を付けた、ディズニーお得意の擬人化アニメ
 ロビンフッドという架空の人はイングランドの圧政に苦しむ庶民を助けるため、ジョン王子から奪い返した税金を人々にばらまく“義賊”ということになっている。日本で言うと「ねずみ小僧」のようなキャラクターだが、ラッセル・クロウが演じるロビン・フッドは“義賊”ではなく、庶民の自由を勝ち取るために横暴な王と戦い、またフランス軍から国を守ろうとする“ヒーロー”として描かれている。つまりこれまでのロビンフッドとはスケールが違うのだ。
 僕はキツネのロビンが頭の隅にあったせいで、なかなかラッセル・ロビンに乗れなかった。僕と同じ過ちを犯さないためにも、これは「ロビン・フッド」ではなく、劇中で使用される「ロビン・ロングストライド」という名の男の英雄譚として観るのがいいだろう。

 リドリー・スコットの「実写」にこだわる映像が見ものだ。
 CGを使ったカットが無いわけではないが、実写で行けるところはとことん実写で絵を作ろうとする、その心意気が良しである。
 エキストラの数や揃えた衣裳と持ち道具の数など、想像するだけで気が遠くなるシーンを観ていて僕は、「アナログ世代の映画監督だからこそ作れる“血の通った”映像」なんじゃないかと思った。
 確かにアナログは面倒で金もかかる。けれど、そのカロリーは確実に映像に反映される。本作でも実写映像とCG映像の差は明らかである。多くの人が、その温度差に気付くと思う。僕はそんな「人の感性」もスゴイと思った。見た目では一瞬だまされても、のちに湧き上がって来る違和感は、人が持っている「心眼」によるものだろう。僕たちは「心眼」で「真贋」を見極めているのだ。
 例えば「スター・ウォーズ/エピソードIV」と「エピソードI」の持つ力の差。それは人の手によって創られたものと、デジタルよって創られたものの差もあったと思う。つまりホンモノの持つ力を使えば、より多くの人を感動させられるということだ。

 しかし個人的には「所詮これも戦争映画でしかないな」と思っていた。
 かつて誰かが「世界中が地球平和を謳う一方で、作られる映画の半数は戦争映画である」と話していた。僕はそれを聞いたときに愕然とした。それから、何のために戦争映画は作られるのか、その理由を知りたいと思っていた。
 本作の舞台は12世紀末のイングランド。この時代の武器は至近距離用の「剣(または鉄を加工したその類)」と、遠距離用の「弓矢」の二つである。近代戦争では使わない武器の威力がスクリーンから痛々しいほど伝わってくる。ちなみに火薬を使用する武器が登場するのは15世紀ごろと言われているが、それにしても「人間は古くから戦(いくさ)をしてきた生き物なんだなあ」と半ば呆れ気味に思ってしまった。
 なぜ戦は起きるのか。その理由も、俯瞰すると実はひとつしかないように思う。「侵害」である。分類すると「領土」と「人権」の侵害ということになるだろうか。侵害する理由は?何者かの「欲望」のためである。では再度自分に問い質す。
 「戦争映画はなぜ作られるのか?」
 今の僕には上手く答えられない。

 本作は他人のために何かを成そうとする人間の「義」を描いたものである。そして「矛盾」に対して行動を起こすことの重要性を説いている。志は高いがそれが観客の胸に届くかどうかは若干疑問が残る作品だった。
 ただし映像は本当に美しい。作品に興味があるなら劇場で観ることを勧める。

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リトル・ロマンス [2010年 レビュー]

リトル・ロマンス」(1979年・アメリカ) 監督:ジョージ・ロイ・ヒル 脚本:アラン・バーンズ

 31年ぶりに観る。
 実はつい最近まで、これがジョージ・ロイ・ヒル作品だったとは露知らず、名前を聞いて俄然見直したいと思っていた。
 初見は16歳。僕は映画ノートに呑気なことを書いている。
 「このオープニングはおもしろい。『リトル・ロマンス』より先に『明日に向って撃て!』が出てくる」
 なんたる無知っぷり。なんたる自由。我ながら笑ってしまった。

 言わずと知れたダイアン・レインのデビュー作である。公開当時彼女は14歳。
 「最後の初恋」を観たとき、「ダイアン・レインは僕にとって“幼なじみ”と一緒」と書いた。それは彼女が、出会ってから早31年も経過しているのに、今なお健在ぶりをアピールしてくれる元気な女優の一人だからだ。だから僕は「そういや昔はどんな風だったっけ?」と旧いアルバムをめくるように、DVDのスタートボタンを押してみた。

 文句なく可愛い。

 ジョージ・ロイ・ヒルも撮り方を心得ていて、なにより顔見世シーンにこだわった形跡がある。
 シーンは映画の撮影現場。大人たちが動き回るロケセットの中、大きな背もたれ椅子に腰掛け、本を読む少女。後ろ姿。椅子の背もたれから少女のブロンドのロングヘアが右半分だけ見えている。
 やがて少女を呼ぶ声。振り返るダイアン・レイン。
 このときの笑顔がすでに満点である。スター誕生の瞬間と言っていい。観客はおそらく「この世で無垢な少女の美しさに敵うものは何も無い」と確信するだろう。
 僕は今のダイアン・レインを頭の片隅に置きながら、14歳のダイアン・レインを見つめ続けた。そして旧いアルバムを開けたときの懐かしさと同じ、胸になにか温かいものを感じていた。
 「思えば長い付き合いになったもんだ」
 これは永年映画を観てきたからこそ味わえる悦びだったと思う。

 ドラマの主人公は、数学が得意で中でも「確立」には絶対の自信を持つダニエル(テロニアス・ベルナール)。映画と競馬の予想が趣味で、フランス人だがアメリカ映画で英語も習得した秀才肌。一方アメリカから母親とパリにやってきたローレン(ダイアン・レイン)は13歳で哲学書を読む、ちょっとマセた少女。この2人の恋の行方を謎の老紳士ジュリアス(ローレンス・オリビエ)が見守るという設定である。
 さて本作で有名になった
「ヴェネチアにある『ため息の橋』の下で日没の瞬間にキスをした2人は永遠の愛を手にすることが出来る」という言い伝えだが、実はこれ、ジュリアスのでっち上げだった(笑)。僕は後年39歳でヴェネチアに行ったとき、水上タクシーでわざわざ「ため息の橋」の下を通って(ただ見上げるだけだったけれど)感激したことを今でも思い出すが、その元となるエピソードが“スリ”の“ホラ”だったと知って、軽いめまいを覚えてしまった。
 けれどこれは一人歩きをしてしまうほどロマンチックなエピソードだったという証でもある。そのうち「ため息の橋」の言い伝えだけが残って、この映画のことを知る人はいなくなるのかも知れない。
 今となっては映画の持つ不遇な運命をも感じる1本だった。

リトル・ロマンス [DVD]

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アイルトン・セナ ~音速の彼方へ [2010年 レビュー]

アイルトン・セナ ~音速の彼方へ」(2010年・イギリス) 監督:アシフ・カパディア

 観ていてこんなに辛いドキュメンタリーもなかった。
 セナがどんなに素晴らしい走りをして見せても、待ち受けているゴールは「死」である。
 なじみ深いマールボロカラーのレーシングスーツを着ている時代はまだいい。しかし1994年に袖を通したロスマンズブルーのレーシングスーツ姿は、もやは死に装束にしか見えなかった。

 セナの活躍をオンタイムで観ていた世代に、目新しい映像はほとんど無いと思う。
 特にセナファンには見覚えのある映像ばかりだ。けれど僕はこのドキュメンタリーを観て、今さらながらとても重要なことに気が付いた。詳しくは後述するが僕の推理が間違っていなければ、こう断言できる。

 「日本にF1ブームは2度と来ない」

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 これは僕が91年のフェニックスで撮った予選中のセナ。
 確か予選初日に暫定トップタイムを叩き出したあとクルマを降りて、プロスト(フェラーリ)のラップタイムを見ているときの表情だったと思う。
 とにかく絵になる人だった。
 僕はこのドキュメンタリーを観るまで、日本におけるF1ブームの立役者はセナだと思っていた。
 けれど実際は違った。
 日本にF1グランプリを定着させたのは
アラン・プロストである。
 それは冷静に考えれば分かるドラマの常識だった。
 「悪役がいなけれればヒーローもただの人」
 しかもプロストの背後にはさらに大物の悪役がいた。当時のFIA会長ジャン・マリー=バレストル。ギャングのボスと言っても誰も疑わないだろう風体のフランス人。彼は同じフランス人のプロストを寵愛していた。
 
 確かに1988年から1990年まで続いた「セナ・プロ対決」は昼メロ並みの泥臭さだった。昼メロも悪役が憎たらしければ憎たらしいほど、視聴者は不遇の主人公に感情移入し、ドラマに没入して行く。
 本作はこの「セナ・プロ対決」の一部始終をおさらいするものである。プロストはいかにして悪役になり、セナはいかにしてその恨みを晴らしたか。
 僕は本作を観ながら
「セナ・プロ対決」はなぜここまでの泥試合になってしまったのか、今さらながら考えてしまった。個人的にはマクラーレン時代にチーム・オーダーがなかったことが最大の原因だったと思う。
 そもそも、ひとつのチームが2台のマシンをエントリーする理由は、「コンストラクター(車体製造者)には2台までポイントが与えられる」というルールがあるからだ。
 F1グランプリはとかく個人競争のように見られるが、実はチーム戦である。僕に言わせれば、ドライバーはチームのクルマを速くゴールさせるために雇われた技術者の一人に過ぎない。優先されるべきはコンストラクターズ・ワールド・チャンピオンの獲得であって、ドライバーズ・ワールド・チャンピオンは副賞に等しい。とすれば「チーム・オーダーは必要不可欠」というのが僕個人の見解である。
 ところがマクラーレンのロン・デニスはそれをしなかった。セナ・プロ対決の一因は、チーム内にあるべきルールを敷かなかった彼にあると僕は思っている。
 映画と外れたハナシになってしまった。

 プロストとバレストルという悪役コンビのおかげで、ドラマ
「セナ・プロ対決」は“判官贔屓”の日本人が最も好むストーリーに仕上がった。そして日本にF1ブームが巻き起こった。
 ここまで舞台が整い、これほどの役者が揃うなんて、この先2度とないと思う。それは「ローマの休日」や「風と共に去りぬ」と同じ一種の奇跡である。だから僕は「日本にF1ブームは2度と来ない」と断言するのだ。
 セナ亡き後、F1を見なくなったという人は多い。けれどレースがつまらなくなったわけじゃない。役者もいなかったわけじゃない。けれど役者が足りなかった。セナもプロストもいなくなった舞台に、ミハエル・シューマッハというセナ以上の天才ドライバーが立ったにも関わらず、その相手役がいないのだ。だからシューマッハはヒーローにも悪役にもなれなかった。
 役者が揃わなければドラマは成り立たない。繰り返すが圧倒的な悪役の存在無しにドラマは成立しないのだ。
 けれど僕は。
 再びスクリーンに意識を戻してみる。
 「今となっては掘り起こす必要のないドラマだ」とも思いながら観ていた。セナの生涯を描いたドキュメンタリーとは言え、完全に“ヒール”として描かれるプロストは今も健在なのだ。
 僕はプロストのことを思った。あの時代の自分を恥じているだろうかと。その答えはこの作品のエンドクレジットにあったかも知れない。セナ財団の管財人をプロストが務めている事実。

 1994年5月1日。運命の日。
 前日の予選でラッツェンバーガーが死亡。グランプリ中の死亡事故は12年ぶりのことだった。事故現場を見たセナの表情が痛々しい。明らかに動揺しているのが見てとれる。そんなセナを見てF1ドクターのシド・ワトキンスはこう声をかけたのだと言う。
 「今日限りでレースをやめたらどうだ」
 セナは答える。
 「それは出来ないんだよ。シド」
 観ている僕は死神の気分だった。そしてセナは天に召された。

 91年の開幕戦をアリゾナ州のフェニックスまで観に行ったのが懐かしい。
 初めて観たF1グランプリレースででセナの優勝を観ることが出来たのは本当に幸運だった。
 決勝の朝。サーキット入りするセナを待ち受け、登場した彼の横にピタリと寄り添いながら、左利きのセナの右側に張り付いたためにサインをもらえなかったのもいい思い出だ。

 ガラガラのスタンドの最前線に大挙していた日本人ファン(僕も含む)に手を振るセナ。

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 最終コーナーを立ち上がって行くマクラーレンMP4/6

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 セナ以上のF1ドライバーはもう2度と現われないと思う。
 彼の記録はことごとくシューマッハに塗り替えられたけれど、彼の記憶は誰にも上書き出来ない。

 セナを愛したすべての人に。


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ドロップ [2010年 レビュー]

ドロップ」(2008年・日本) 原作・脚本・監督:品川ヒロシ

 原作者の品川は映画化の話が来たときに、自分で監督をやりたいと申し出て、ならば脚本を書いてみろと関係者に言われたそうだ。その出来栄えによってはやらせなくもないと。言われて品川は渾身の脚本を書き上げ、見事監督の座を勝ち取った…。
 映画監督・品川ヒロシ誕生の経緯は、当時の「品川ブログ」にこうあった。人気お笑いタレントの本が売れて、それを映画化するとは言え、原作者のタレントを「はい、そうですか」と監督に据えるほど日本映画界もバカじゃなかった、ということだ。
 脚本の出来を確認した角川映画は、約束どおり品川に監督の座を与えるが、その一方で保険も掛けていた。この前年「クローズZERO」で三池崇史の助監督を務め、アクション映画(しかもマンガ原作)のイロハを学んだ西川太郎の「監督補」起用である。
 西川は品川をサポートする上で、三池演出を巧みに取り込んだ形跡がある。ケンカの生々しさを伝えるため、観客が痛みを感じるようになるまで役者を痛めつける。この“手加減の無さ”は間違いなく三池演出そのもの。そういう意味でも西川太郎の起用は大正解だったと思う。

 ハナシは前後するが、僕は「品川ブログ」を読んでいたとき、一体どんな脚本に仕上げて監督の座を獲得したのだろう、と思っていた。角川は何をもってして監督を品川で行こうと決めたのか。
 観たら分かった。「ダイアローグ」である。
 そしてそこには書かれていない“間”を撮るためには品川以外に無いと判断したのだろう。この判断は間違っていなかった。とにかく登場人物たちの会話が面白い。品川は漫才のような台本を書いて、自分で演じるように撮った。これは本当に巧かった。また品川がイメージした“下げ”をイメージ以上のものにしたピース綾部は隠れファインプレイである。

 一方で波岡一喜が出ていたせいもあって「パッチギ!」と比較しながら観ていた僕は、ケンカの繰り返しで1時間が過ぎた辺りから、「このままで大丈夫なのか?」と思った。60年代末の京都を舞台にした「パッチギ!」は人種問題を裏テーマに抱えていた。そしてドラマもその方向へと向うのだが、80年代の狛江が舞台の「ドロップ」には訴えるべき社会的メッセージも無ければ、そんな伏線も見当たらなかった。だからどこへ向おうとしているのかが気になった。
 そこへ持ってきたのがヒロシ(成宮寛貴)の兄貴分、ヒデ(上地雄輔)の落下事故である。これは安直な展開でまったく気に入らなかった。伏線の引き方も唐突で、ここはシロウト監督の力不足が露呈したように思う。

 それでも青春映画としては悪くない。
 僕はこの作品、新しいカタチの「吉本新喜劇」だと思った。
 吉本の芸人が多数出演し、笑いを取るだけとって、最終的には人情噺にまとめる。王道と言えば王道。良く出来た演芸である。
 吉本興行の選手層の厚さにも感心した。一番はレイザーラモンHGこと住谷正樹。エンドロールを観るまでまったく気付かなかったけれど、HGはヒロシたちのライバルである加藤宏二郎を演じていた。芝居もまずまず。
 本仮谷ユイカはまさに掃き溜めの鶴。彼女の愛らしさが殺伐としたドラマに一服の清涼感を与える。
 そして水嶋ヒロ。あんなにドスの利いたセリフが言えるとは思わなかったし、アクションのこなしも想像以上で大満足。カムイも彼にやって欲しかった。

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カムイ外伝 [2010年 レビュー]

カムイ外伝」(2009年・日本) 監督:崔洋一 脚本:宮藤官九郎、崔洋一

 
原作ファンからすると悲しくなるほどの駄作。
 白土三平の原画を使い、カムイのプロフィールと、彼の置かれた状況をナレーションで伝えるオープニングは良かった。大抵の原作ファンはこの導入を喜んだだろう。しかし原作を読んだことのない観客がカムイの苦悩を理解できたかどうかは甚だ疑問だ。恐らく観客の大半は原作未読だったはず。なにせオリジナルが初めて世に出たのは今から約45年前なのだから。

 僕は子どものころに「忍風カムイ外伝」というテレビアニメを先に観ていた。その後上京し19歳で友人から原作を借り受け、「カムイ伝」と「カムイ外伝」を読んだ。原作を読んで驚いたのは、タイトルに「カムイ伝」とありながら、実はカムイ一人の物語ではなく、江戸時代のあらゆる身分の人間を登場させた壮大な群像劇だったこと。そして綿密な時代考証に裏打ちされたリアリティ溢れるドラマだったことである。しかも殿様から非人まですべての身分を描いているため、“忍び”の立ち位置も
良く分かる仕組みになっていた。
 だが原作を知らない多くの観客にカムイの“抜け忍”という立場と、その苦悩を伝えるにはオープニングのナレーションだけでは圧倒的に説明不足だったはずだ。山崎努が読んだオープニングの全文を採録してみよう。

 17世紀、日本。徳川時代。
 
貧しい村で一人の男がこの世に生を受けた。
 
男の名前はカムイ。
 
理不尽な階級社会の最下層で、少年はたくましく育った。
 
カムイの願いはただ一つ。強くなること。それは自由な人間として生きること。
 
やがて少年は村を抜け出し、あてどのない旅に出る。
 
だがそこにあるのはどこまでも冷たく大きな壁。
 
貧しさ故に忍びとなり、忍び故に技を磨き、その技で人を殺め、掟に縛られ、
 
やがて抜け忍になり、死の淵へと追いつめられる。
 
だが真の敵は追忍たちの果てしなく続く攻撃ではない。
 
誰も信じられない己の心である。
 
カムイの夢はこの世にないのか。
 
それでもカムイは逃げ続ける。
 
生きるために。

 
「カムイ外伝」という物語の要約としては素晴らしくまとまった文章である。
 クドカンが書いたのか崔洋一が書いたのか知らないが、僕はこのナレーション原稿には感動をした。続いてタイトルが出てきたとき、「巧くテイクオフしたな(映画の見方を巧く伝えたな)」と思ったのだけれど、しばらく観ていて僕ははたと気が付いた。とても重要なことがひとつ伝えられていない。それは“抜け忍”を始末する理由である。
 「カムイはともかく、すでに足を洗って何年も経ち、漁師の妻として子どもまで産んだスガル(小雪)をなぜ始末しなければならないのか」
 そう気が付いたが最後、観客はストーリーの整合性を見失ってしまうだろう。
そもそも「裏切り者には死あるのみ」という裏社会特有のルールだけじゃないところが、「カムイ伝」の面白いところなのだが、それが伝わっていないのは残念だ。

 そんなことよりも駄作に成り下がった一番の理由はCG演出のレベルとクオリティの低さによるものだ。中でも僕が一番ガッカリしたのは、カムイの必殺技「飯綱落とし」をスローモーションで見せたこと。もう一つの必殺技「変移抜刀霞切り」も同じく、いずれも目にも留まらぬ早さこそ「必殺技である所以」なのだが、それをスローモーションのみで見せるというセンスのなさに閉口してしまった。スローモーションは実際のスピードと比較してこそ、その効果が発揮される演出なのにだ。
 他にも忍者の身軽なアクションは再現性が極めて低く、「グリーン・ディスティニー」のようなファンタジーにもなりきれていない。この中途半端さはまったく納得できなかった。とにかくCGは酷すぎる。
 
 あとは松山ケンイチ。ここは個人の好みだが、僕はまったく好きじゃない。僕がプロデューサーなら水嶋ヒロに頼む。あるいはカムイの目尻を追い求め、韓国人俳優を起用するかも知れない。
 最後に崔洋一。テレビに出過ぎて映画の作り方を忘れたか。「血と骨」は良く出来てたのに。

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