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ヤクザと憲法(2015年・日本) [2016年 レビュー]

監督:圡方宏史
プロデューサー:阿武野勝彦

 レビュー以前にまず「テレビの限界を映画で越えようとする東海テレビの姿勢に拍手」と書こうと思い、念のために「これって地上波で放送してないよな」と確認をしたら、きっちりテレビでもOAしてた!いやいやいや逆にスゴすぎるやん!東海テレビ!!

 僕もテレビ番組のプロデューサーを生業としているので、ヤクザの事務所に入り込んでカメラを回していると聞いただけで感心した。次に「どういう交渉をして実現したのか」が気になった。だってヤクザが何のメリットもなしに面倒なテレビ局の取材など受け入れるはずないからだ。実際、東海テレビは多くの組に断られたという。ところが二代目東組二代目清勇会の会長だけが、“ある理由”から取材を引き受けた。その理由は観れば分かる。実は取材する側もされる側もWinWinだったのだ。
 WinWinなんだけど監督の圡方は冒頭でちょっとだけドヤ顔をする。実際に顔を見せるわけではない。「取材の条件」というテロップを出してヤクザを口説き落とした自分たちの仕事を自慢するのである。その条件とはこうだ。
 「取材謝礼金は支払わない」
 「収録テープ等を放送前に見せない」
 「顔のモザイクは原則なし」
 これは「私らは交渉の末に真正面からヤクザを取材させてもらってますけど何か」というアピールなのだ。しかしテレビで放映するためにはこれくらいのエクスキューズは必要だっただろう。
 一方で取材を受けることに決めた二代目東組二代目清勇会の会長にとっても、周囲に対するエクスキューズは必要だったはずだ。それが「暴力団対策法が施行され、槍玉に挙げられている側から、真っ当な発言をする機会を得る」ことだった。

 かつて『A』というドキュメンタリーがあった。やはりテレビ出身の森達也がオウム真理教の中に入り込み、オウム信者の側から一連の騒動を見つめた秀作である。本作も『A』と同じで「立場が変われば見方が変わる」ことを我々に教えてくれる。
 僕は反社会勢力を肯定はしない。しかしだからといって反社会勢力に属する人たちとその家族の「憲法で保障された基本的人権」を無視していいとは思わない。いや、この作品を観て初めてそう思った。ヤクザになった人たちは、犯罪を犯したくてヤクザになったわけではない。誰かに認めて欲しくて、あるいは自分を救ってくれた人の恩に応えたくて、あるいは何を為すべきか分からなくてヤクザになっているのだ。どうだろう。一人の人間としてごく普通の願いや想いや悩みに聞こえないか。

 このジャンル。テレビにとってタブーと言われているが、実はヤクザと向き合うことの面倒臭さが先に立って、テレビマンの誰も向き合おうとしなくなっただけなんだと思う。もちろん視聴者からのクレームも気になる。本作のような描き方の場合「東海テレビはヤクザの肩を持つのか」と言いがかりをつけられることも十分に考えられたはずだし、実際にあったのではないかと推察する。しかしそれよりも「伝えるべきこと、改めて考えるべきこと」があるんじゃないか?と腹をくくった東海テレビのスタッフには改めて敬意を表したい。
 欲を言えば、「部屋住み」と称されるヤクザ見習いの男の子に「なぜヤクザになりたいと思ったのか」は聞いて欲しかった。
 それでも歴史に残るドキュメンタリーであることに変わりはない。必見。

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007/スペクター(2015年・イギリス/アメリカ) [2016年 レビュー]

原題:SPECTRE
監督:サム・メンデス
脚本:ジョン・ローガン、ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、ジェズ・バターワース

 結論から言うと、これがダニエル・クレイグ最後の主演作ならまあ良しとする。でももしそうでないのなら期待はずれ。つまり007映画としては面白くなかったということ。誰か「シリーズ最高傑作」とか言ってなかったか?

 本作を観ていて、僕が「007映画に求めていたもの」が何だったのかよく分かった。それは『ゴルゴ13』のようなジャーナリスティック性だ。コミックと映画とではかかる制作日数が違い過ぎるため『ゴルゴ13』のようなスピーディーな対応を求めるのは酷なのだが、それにしても“アストンマーチンを乗り回すダンディーなスパイ”というもはや劇画の世界でも成立しないような「大きな嘘」を観客に呑み込ませるためには、「現実に007がいたら面白いに違いない」と思わせるリアルな設定が不可欠だと思う。そういう意味では『ミッション:インポッシブル』も同じなんだけど。

 とはいえ、永らく封印されていた「スペクター」名称の復活を聞いたときは、何だかちょっとした期待するものがあった。それは「真白なシャム猫を抱いた謎の首領」という、これまた60年代だからこそ成立していたキャラクターをどうやって現代に蘇らせるのか、サム・メンデスの手腕に対する期待だ。勝手な想像ではあるけれど、「スペクター」を復活させた理由を僕は、前作でジュディ・デンチを殺すという強烈なカンフル剤を打ち、マンネリに陥るより先に手を打った製作陣の決意の表れ、と解釈したから。冷戦後の007映画を支えた“功労者”を亡き者にしたからには、当然「ダニエル・ボンド第2章」を見せてくれるんだろうな、というちょっとした逆恨みもあった(だってジュディ・デンチのMが本当に好きだったし)。しかし本作は、僕の期待に応えてくれるものではなかったというわけだ。
 設定もそうだが、一番残念だったのはアカデミー賞俳優クリストフ・ヴァルツを使いこなせていなかったこと。『イングロリアス・バスターズ』での悪役ぶりが天才的だったからこそ、本作でも期待をしたのだが、いかんせん脚本が良くなかった。だいたいボンドとの関係性と恨みの動機がなってない。ダニエル・ボンドシリーズ中一番ガッカリしたポイントだったかも知れない。

 そうはいっても見せ場は沢山あった。個人的に気に入っているのはモニカ・ベルリッチである。50歳を超えたボンド映画マニアにはどストライクな展開ではなかったか。列車内の格闘が一種の吊り橋効果となってコーフンしてしまった若い女医より、裏社会に生きる夫を失いメンタルの箍(たが)が外れた熟女を抱くボンドにこそリアリティ感じるのである。エロさで言えばレア・セドゥのそれはモニカ・ベルリッチの足元にも及ばなかった。

 しかし、もう済んだことである。
 ラストシーンはダニエル・ボンドの最終回を思わせたが、果たしてどうなることやら。


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007/スカイフォール(2012年・イギリス/アメリカ) [2016年 レビュー]

原題:SKYFALL
監督:サム・メンデス
脚本:ニール・パーヴィス、ローバト・ウェイド、ジョン・ローガン

 『スペクター』の予習も含めて観る。一昨年以来2度目。
 シリーズ23作目は、これまでにも何度かあった極めて重要な“節目”の1本だった。

 NATOが世界中に送り込んでいるスパイの情報が入ったハードディスクが何者かに盗まれた。007(ダニエル・クレイグ)がその奪還に当たるが、指揮をしたMの判断ミスによって007は死亡。敵のエージェントも取り逃がしてしまう。組織内で立場を危うくしていくM。やがてスパイの個人情報がネット上に流出すると、一部のエージェントが拘束され処刑されてしまう…。

 僕の中で007映画は「敵の野望のスケールとそのリアリティ」によって良し悪しが決まってきた。
 たとえば『ロシアより愛をこめて』(1963)の敵は、犯罪組織としてスケールが小さくて最低だったし、『サンダーボール作戦』(1965)の敵はまさに「スペクター」なのだが、組織のワールドワイドな企みが馬鹿丁寧に説明されているおかげでかなり楽しめたし、『リビング・デイライツ』(1987)になるとソ連KGB内部の権力闘争やアフガニスタン侵攻など当時の国際情勢が反映された設定になっていて、シリアスな007を楽しむことが出来た。
 では『スカイフォール』はどうなのか。

 正直いうと敵組織のスケールは小さい。007ではありがちな「狂信的な個人」が率いる犯罪集団に過ぎない。だから007映画のスケール感もミニマムに近いのだが、今回に限って僕はこれを否定しない。なぜなら本作の主人公は007ではなく、M・ジュディ・デンチだからである。僕は彼女がMを引き受けなければ、007映画は今日まで続いていなかったと思う。

 ジュディ・デンチが3代目Mとして登場したのは、東西冷戦終結後に初めて制作された『ゴールデン・アイ』(1995)である。この作品は「スパイの必要性」すなわち「007映画の存在理由」が問われた作品だった。ここで就任したばかりのMは、007ピアース・ブロスナンをこう切り捨てる。
 「あなたは女性蔑視の太古の恐竜で冷戦の遺物」
 素晴らしい一言だった。このセリフによって過去の007映画をすべて古典扱いにし、新章突入を高らかに宣言したのだ。
 さらに1999年、ジュディ・デンチが『恋に落ちたシェイクスピア』でアカデミー助演女優賞を受賞すると、Mの存在感は一気に増した。ジュディ・デンチの力を借りてMの内面を描くことに成功し、『ダイ・アナザー・デイ』(2002)では今作の布石ともいうべき、Mの非情な性格にフォーカス。007も所詮“駒”のひとつでしかないことを我々に知らしめた。

 就任から今日まで、M・ジュディ・デンチの功績は計り知れない。
 だからこそ彼女の最期は一つの物語として描かなければならなかった。今回の007が立ち向かうのは民主主義の敵でもなければ、大英帝国の敵でもない。Mの敵なのである。そこにスケールは必要ない。必要なのはジュディ・デンチに相応しい品格だ。不気味な笑みを浮かべながら現れたのは、アカデミー賞俳優ハビエル・バルデムだった。まったく申し分ない敵だ。ロングショットの長回しで登場させたサム・メンデスのアイディアも秀逸だった。

 007映画として観てみるとダニエル・ボンドの過去2作とは見劣りがする。
 そもそも『カジノ・ロワイヤル』(2006)と『慰めの報酬』(2008)は前後編で描かれたドラマであるから比較にもならない。しかしMを主人公にしたスピンオフ映画だと思って観ると、いくつかの不満が収斂され、よく出来た映画に見えて来るから不思議だ。特にMと007の主従関係は前2作でも丁寧に描かれていて、まさにその集大成というべき作品に仕上がっているのだ。
 M・ジュディ・デンチをリスペクトしてきた僕には満足。その一方で新作『スペクター』に対する不安が芽生えてしまった。ジュディ・デンチのいない007映画は一体どうなっているのだろう。


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殺人の告白(2012年・韓国) [2015年 レビュー]

英題:CONFESSION OF MURDER
監督・脚本:チョン・ビョンギル

 実際の未解決事件をモチーフにした韓国映画の傑作『殺人の追憶』を観た監督が、「時効成立後に犯人が名乗り出たらどうなるのか?」と考えたところからスタートしたというクライム・サスペンス。ドラマとしての面白さ以前に、犯人役を演じたパク・シフが美しすぎて片時も目を離せない作品だった。

 15年前。刑事のチェ・ヒョング(チョン・ジェヨン)は偶然、連続殺人犯に遭遇。拘束を試みるが既のところで取り逃す。その後、懸命の捜査にも関わらず時効が成立。喪失感を抱くチェに追い打ちをかけるニュースが飛び込んできた。法的に無罪となった犯人が手記を出版するというのだ。これには遺族もマスコミも激しい批判を展開するが、犯人イ・ドゥソク(パク・シフ)が会見を開くと世論に歪みが生じ始める。まるでモデルのように美しいルックスをしていたからだ。

 2012年の映画ではあるけれど2015年に観たため、序盤はどうしても「神戸連続殺傷事件」の犯人、元少年Aが6月に発表した手記を思い出さずにはいられなかった。
 元少年Aの手記について、日本のメディアは「遺族感情を無視した独り善がりな行動で、全く許されるものではない」という批判を展開した。この批判そのものは“本題の前提”としてはあっていい。しかし肝心の「厚生プログラムを終えて社会復帰した元少年Aが、手記で発信したかったメッセージは何かを探る」という仕事は放棄していたように思う。恐らくマスコミ各社は「この手記について正面から向き合うことは賢明ではない」と判断したのだろう。なぜならそれはかなりの労力を必要とする仕事であり(そもそも本を読まなきゃならない)、かつ検証行為そのものが「被害者感情を無視している」と批判されることを恐れたのだろう。だからマスコミは批判の矛先を元少年Aから出版社に向け、「世間の逆風は想定内であったはず。それを承知で出版した理由は何なのか」という議論に終始した。早い話が日本のマスコミは元少年Aから“逃げた”のである。
 『殺人の告白』では犯人の倫理観を問うため、自社の報道番組に出演をさせようとするテレビマンが登場する(本作において最も重要な設定のひとつ)。ここにリアリティを感じられなければ本作への感情移入は難しい。僕は韓国のメディアなら元少年Aもテレビの前に引きずり出すかもしれないな、と思いながら見ていた。韓国には逮捕された容疑者への取材を許す警察、容赦ない質問を浴びせるメディア、またそれも禊ぎの一種と捉える視聴者が存在するからである。だから僕は本作の設定にリアリティを感じたし、脚本そのものは面白いと思った。
 ただし「見せる」ことにこだわったいくつかのアクションシークエンスは「ありえない」と呆れた。商業映画であるから否定はしなけれど、ドラマ部分がとても良く出来ていただけに、個人的には「もったいない」と思った。
 またクライマックスについても(ネタバレになるのでディテールは割愛)、カタルシスを演出するために止むを得ないこととはいえ、演出過多であった気がしてならない。

 それにしてもこの映画は、パク・シフのビジュアルによって支えられていたように思う。対する刑事役にチョン・ジェヨンという武骨な役者を置いたことも効いている。
 韓国映画界の世代交代を感じさせる1本。


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エベレスト3D(2015年・アメリカ) [2015年 レビュー]

原題:EVEREST
監督:バルタザール・コルマウクル
脚本:ウィリアム・ニコルソンサイモン・ボーフォイ

 この作品を3Dに仕立てて、タイトルに3Dと打ったのは戦略として勝ちだ。
 このタイトルだけで、たとえ内容がどうであろうと「観てみたい」と思わせるチカラがある。もちろん僕もただそれだけで劇場へ行った。

 フタを開けてみたら「事実に基づくストーリー」だった。
 観終わってみると、何の予備知識も持たずに行ったのが良かったのか、それとも悪かったのかは正直悩ましい。予備知識を持たないからこそ展開にはハラハラしたし、予備知識を持たないからこそ今ひとつ理解し切れないところがあったからだ。ただし今日で一旦腹を決めることにする。
 「予備知識は入れた方がいい」
 その方が2度観なくて済む(笑)。本作のベースとなったのは、1996年に起きたエベレスト登山史上最悪の遭難事故である。

 個人的な話になるけれど、僕は2014年に「ジョージ・マロリー」の伝記番組を作ったので、エベレスト登山がいかに過酷な仕事であるか多少の知識は持っていた。ただそれはあくまでも登頂経験者の話や著作物からといった間接的に仕入れた情報でしかなくて、リアルな体感によって得た知識ではない。しかし本作は「エベレストの恐ろしさ」を限りなくリアルに近い肌感覚で教えてくれる。どこまでリアルなロケで、どこからがそうじゃないのかなんて分からなくなるくらい僕は息が詰まりそうだった。3Dの効果も良かったと思う(3Dメガネをかけることによって、輝度が落ちる以外は)。
 予備知識を入れておいた方が良かったと思った点は、登頂を目指す主要登場人物たちの“背景”である。
 「なぜ彼らは命を賭けてまで世界最高峰を目指すのか」。
 ここを理解できないと、単なる無謀な人たちの愚かな挑戦にしか見えないからだ。本編ではこの動機がほぼ全員について語り尽くせていない。否フィクションなら「語り尽くせていない」と作り手のせいに出来るのだけれど、ノンフィクションであるからには観る側の問題もある。だから「予備知識は入れた方がいい」という結論に至った次第である。

 この作品は、エベレストの怖さの“見本市”でもある。
 エベレスト登山の際に肝を冷やす、いろんなケースが描かれている。高所恐怖症の僕にしてみれば「そんなところへ行くなんて頭がおかしい」と切り捨てたくなるほどだ。だからこそやっぱり最後は「なぜ、あなたはエベレストに登るのか?」と考えてしまう。
 しかし、空調の効いた快適な劇場でリアルなエベレストを体験した僕は、頭と身体が完全に乖離し、ますます何の答えも出せないまま今もぼんやりとしているのである。こんな体験も悪くない。


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南太平洋の若大将(1967年・日本) [2015年 レビュー]

監督:古沢憲吾
脚本:田波靖男

 古いハワイの風景見たさに「ハワイの若大将」を見て、あまりのノー天気ぶりにびっくらこいて、わざわざTSUTAYAで借りてもう1本観ることにした。この作品をチョイスしたのはWikiに「サイパン、タヒチでロケーションされた」とあったから。サイパン好きなのよ。友達もいるし、日本史的に重要な場所だし、なんたって4歳のムスメを連れて行ける一番近い海外リゾートだし。だから60年代はどんな様子だったのか見てみたくて借りたんだけど、サイパンロケはなんとガセネタ。「こういうことがあるからWikiは信用できないんだよ。なあ青大将」(若大将風に)。

 若大将(加山雄三)は東京水産大学の学生で柔道部員。遠洋航海実習でハワイに立ち寄った若大将と青大将(田中邦衛)は、日本料理店「京屋」で客に絡まれた客室乗務員の澄子(星由里子)を助けるために乱闘騒ぎを起こす。この一件が縁で京屋の主人(左卜全)がハワイの店にすき焼きを出したいと来日。若大将の家族と親睦を深める。特に主人の孫・由美子(前田美波里)は若大将に好意を寄せるのだが…。

 「若大将シリーズ」を知らない人には信じられないと思うけれど、主要キャストは変わらないにもかかわらず、設定は毎度違うという珍しいスタイルの映画である。だから加山雄三は、田沼雄一という役名で「田能久」という老舗すき焼きやの跡継ぎという設定、また星由里子は澄子という同じ役名でありながら、作品ごとにまったく別人として登場するのだ。それでいて人格は一緒と来ているから、なんともノー天気なパラレルワールドである。観たことはないけれど、この時代の東宝を支えた「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」も同様なのだろう。ただこれは物語を分かり易くするという点ではとても有効な手段だ。落語における「八つぁん、熊さん」と同じで、登場人物の性格を語る時間が必要ないから、そのぶん脚本がスリムになる。これは早い話が「面白いからいいでしょ?」という東宝の開き直りだ。
 そういう意味では「開き直り」の激しい脚本だった。
 一番ビックリしたのは、若大将と京屋の娘・由美子が結婚すると誤解した澄子が、日本からハワイまでわざわざ「おめでとう」を言いに行くシーン。このシーンは由美子に「若大将はうなされながらアナタの名前を呼んでいた」と言わせるために強引に作ったもので、そう聞いた澄子があわてて日本に飛んで帰るという設定になっている。この距離感。日本とハワイの距離を、浅草と六本木くらいの感覚で書いているのだ。もうちょっとアタマ使えよ(笑)。
 あと、このシリーズは2本観ただけだけど、男にとって都合のいい脚本だなあ、としみじみ思う。常に女性のほうからアプローチをさせ、若大将は恥もかかなければ、傷つくことも無い役回りになってる。こういうヤツを女性は「ズルい男」って言うんだよ。オレもよく言われたな。でもまあいい時代だったな(笑)。

 正直言うと「ハワイの若大将」で好感が持てた加山さんの“うすらバカ”感は、それから4年も経って若干薄まっていた気がする。こうなってくるとシリーズ1作目から観たくなってくるなあ。そんなヒマないけどなあ。

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うすらバカ感が消せないジャケ写。

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ロボコップ(2014年・アメリカ) [2015年 レビュー]

原題:ROBOCOP
監督:ジョゼ・パヂーリャ
脚本:ジョシュア・ゼトゥマー

 1987年作『ロボコップ』のリメイクである。
 リメイクだから「事故によって重傷を負った警官が、機械の体を手に入れてロボコップとなる」というコンセプトは変わらない。しかし決定的な違いがひとつあった。それは「ロボコップとして生まれ変わった主人公が元の記憶を持っていたか、いなかったか」という点である。
 オリジナルを観た我々世代からすると「元の記憶を持たないロボコップが、徐々に以前の記憶を取り戻して行く」という設定のほうがドラマとしては見応えがあった気がするのだが、そこはあえて掘り下げない。比較検証を始めると結果的にオリジナルの再評価をして終わることになるからだ。ただし、2014年というタイミングでリメイクされた背景についてはいささか興味があった。

 アメリカのオムニコープ社は軍事ロボットを開発・販売する企業。2028年、その製品は世界各地で使われていたが、アメリカ国内は軍事ロボットの配備を規制する「ドレイファス法」が存在していたため、市場開拓がまったく出来ないでいた。法案廃止を目論むオムニコープのCEOセラーズ(マイケルキートン)は、世論も納得する製品の開発を目指し、サイボーグ技術の権威であるノートン博士(ゲイリー・オールドマン)に接触を試みる。セラーズが提案したのは機械に人間の脳を備えたロボットの開発だった。

 冒頭、軍事ロボットのポテンシャルを示すためにムスリムが引き合いに出される。
 そこはニュース映像で見覚えのある中東もしくは中央アジアの傷んだ小さな街。“危険分子”の判別を瞬時にこなす軍事ロボットは、すれ違うムスリムたちを問答無用で尋問し、身体検査を行う。その様子をアメリカのテレビ番組が生中継し、自国の技術が抑止力となってここにも平和をもたらしていると自画自賛する。ところが、この生放送中を狙って一部のムスリムが自爆テロを決行。軍事ロボットとの交戦が全米に放送されることになる…。
 これは相当にパンチの効いた皮肉だ。
 こんな仕事を一体誰がやったのかと確認をしたら合点がいった。監督のジョゼ・パヂーリャはリオデジャネイロ出身のブラジル人で、デビュー作は『バス174』というドキュメンタリー映画。この作品はリオで実際に起きたバスジャック事件をモチーフに、スラムや貧民街の実態、またブラジルの刑事司法制度が貧民層をどう扱うかを描いたものだという。
 本作におけるムスリムは「資本主義という怪物に食い物にされる弱者」として描かれている。つまりパヂーリャはハリウッドデビュー作で「テロの萌芽はアメリカに要因がある」と言い切ったのだ。MGMもよくもまあこんなことを許したもんだと感心するが、しかしこれはあくまでも“つかみ”であって、ロボコップの敵はISILではなかった。例えばバットマンがゴッサムシティ、スパイダーマンがニューヨークを拠点にしたヒーローであるように、ロボコップは昔も今もデトロイトをホームとしたハイパー警察官なのだ。
 ではなぜデトロイトが舞台となったのか。それはここが全米で1、2を争う危険な都市だったからだ。

 1980年代。デトロイトは長らく続く自動車工業の不振から失業率は高く、生活苦による犯罪率も上昇。治安の悪化に伴って人口は流出して税収は落ち込み、警察は人員減を余儀なくされて、結果治安がさらに悪化するという負のスパイラルに陥っていた。そこに巨大コングロマリット企業が乗り込んで街を支配する、という近未来設定がオリジナル版の『ロボコップ』だったのである。
 そして2013年7月。デトロイトは本当に財政破綻をしてしまう。オリジナル版で描かれた近未来の姿が現実のものとなったのだ。リメイクの話は2005年から出ていたというから、この財政破綻がリメイクのきっかけではないにしても、2014年の公開はまさにドンピシャのタイミング。プロデューサーは「時代の流れを読んだ結果」と胸を張っても誰にも非難されないだろう。

 さてその中味について。前述した通りオリジナル版を観ているため「元の記憶を持たないロボコップが、徐々に以前の記憶を取り戻して行く」という設定の方が面白いと思うのだが、「記憶を持ったまま」という設定もこれはこれで見応えがあった。自らの身体がどうなってしまったのか鏡越しに対面するシーンは『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』で、ダース・ベイダーとなってしまったアナキンの絶望を思い出すし、続く家族との対面シーンでも実にいろんなことを考えさせる。だからこれはこれでいいのだけれど、オリジナルのストーリーを継承するためにアレックス(ロボコップ)の感情を抑制し「記憶を失ったも同然」とするのは反則。それなら最初からオリジナル版と同じ「元の記憶を持たないロボコップ」で良かったはずだ。
 クライマックスは「生みの親に疎まれて始末されそうになる」という『仮面ライダー』的展開になるのだが、これにも少々不満がある。なぜなら結局は《ロボコップ対軍事ロボット》という構図になるからだ。ロボコップのカタルシスは、一歩間違えば警官が命を落としかねない凶悪犯罪をいとも簡単に解決するところにある。そういう意味ではISILが敵でも良かったのだ。しかしあえてそうしなかったからには、デトロイトの犯罪抑止力となる活躍をもう少し見たかった。

 「まるでバットマンのよう」と一部で酷評された黒いスーツ。個人的には好きだ。しかし車からバイクに乗り換えたために、警官のコンビネーションが描けていないのは残念。相棒との関係性も途中まで良く描けていたので、いわゆる「ポリスストーリー」にも期待をしたのだけれど見事に外されてしまった。「脚本って本当に難しいなあ」と痛感した1本。


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イップ・マン 最終章(2013年・香港) [2015年 レビュー]

原題:葉問 終極一戦
監督:ハーマン・ヤオ
脚本:エリカ・リー

 イップ・マン物件なので無条件で観てしまった。
 「序章」「葉問」でイップ・マンを演じたドニー・イェンのパフォーマンスが素晴らしすぎたのと、過去の「勧善懲悪的功夫映画」でないところが気に入っている。作品の出来栄えは別にして。

 タイトルから分かる通り晩年のイップ・マンを描いたものである。とはいえ特に「事実」との断りもないので物語はフィクションと捉えたほうがいいだろう。中国から香港に渡り、武館を開くことなく僅かな弟子たちにカンフーを教えていたイップ・マン。突然の国境管制による妻との別れ、美しいクラブ歌手との交流、そして裏社会のトラブルに巻き込まれた弟子の救出などを経て、その生涯を閉じるまでを描いている。
 今作でイップ・マンを演じるのは「インファナル・アフェア」でウォン警部を演じたアンソニー・ウォン。52歳のときの作品だが、なかなか美しいカンフーを披露している。また序盤の敵役として登場するのが香港映画界の重鎮で、やはり「インファナル・アフェア」でマフィアのボスを演じたエリック・ツァン。本作「イップ・マン 最終章」もこの人が出て来た瞬間にグッと締まるから大したもの。ただし残念ながら脚本の出来が悪くて作品の完成度は高くない。

 一番気になったところはそれぞれのシーンが断片的であること。
 物語としての脈絡はあるものの、シーンごと話に“丸(句点)”がついてしまっていて、次のシーンは又一から話が始まる構造になっているのだ。シーンの継続性がないと続きを見るモチベーション(あるいは期待感)は低下する。となるとレンタル視聴の場合は、途中で「もういいかな」ってことにもなってしまう。映画はシーンの積み重ねによって完成するものと分かっていても、実はその積み重ね方がかなり難しい。…とはある映画プロデューサーの受け売りである。

 最も有名になった弟子ブルース・リーとのエピソードもある。
 我々の世代は本物と偽物の相似形にこだわってしまうため、輪郭が似ていないだけでガッカリし、ドラマに没入できないという悪い習性を持っているが、身の丈に合わない派手なことを嫌うイップ・マンの描写には役立ったように思う。
 それにしてもイップ・マン物件で見ごたえがあったのは「序章」だけだったかも。

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キャプテンハーロック(2013年・日本) [2015年 レビュー]

監督:荒牧伸志
脚本:福井晴敏、竹内清人

 呆れてものも言えない。
 日本の映画製作者たちはオリジナル作品をブラッシュアップする能力が無いらしい。
 それだけではない。『デビルマン』『キャシャーン』『仮面ライダー』といった先人たちの優れたコンテンツを、のちの商業映画人たちが台無しにしてきた過去から何も学習していないようだ。
 この手の作品を観て失望すると必ず言って来たことだが、ここでも声を大にして言う。
 「いまこの作品を一体何のために映画化するのか。その意図を聞かせて欲しい」
 調べてみたら公式サイトに次のようなメッセージがあった。

 「『キャプテンハーロック』は単なるリメイクではない。『バットマン』(1989)が『ダークナイト』(2008)に生まれ変わったように、松本世界の魂を大切に保ちながら、より壮大に、より斬新にリブート(再誕)させた作品なのだ」

 東映アニメーションの諸君。恥ずかしいから『ダークナイト』と比肩して語るなんてやめてくれたまえ。君たちにそんな資格は欠片も無い。
 確かに『ダークナイト』は『バットマン』から大きく様変わりした。しかしブルース・ウェインというキャラクター設定は何も変わっていないし、むしろ主人公が背負い続けている“心の闇”という重苦しいテーマにフォーカスすることで単なるアメコミ映画からの脱却を果たし、激しいトラウマを背負ってしまった1人の人間のドラマに昇華されたのだ。それは監督のクリストファー・ノーランがバットマンの世界観を深く考察し、現代に置き換える意味、つまりは改めていま作品をリリースする意味を見いだし、時代にマッチした翻訳作業に腐心し、観客の期待に応え、あるいは良い意味で裏切ったからこそである。
 かたや『キャプテンハーロック』は原作のテーマをまったく踏襲していない。
 腐り切った地球の人間たちに失望し宇宙へ出たはずのハーロックが、なぜ地球を襲う異星人との戦いに乗り出すのか。そもそもハーロックはなぜ地球人に失望をしたのか。親友トチロー、若き日のハーロックとトチローを知る異星人のミーメ、トチローの恋人だったエメラルダス、副長ヤッタラン、そして敵の女王ラフレシア。描くべき人もエピソードも十分すぎるほどあるにもかかわらず、そのすべてをゴミ箱にぶち込み、地球人同士の内戦という視野の狭いドラマを起こし、見た目のインパクトで内容を棚に上げられるフルCGアニメに仕立てたのである。こんな作品のどこに『ダークナイト』と並べて語る資格があるというのか。

 原作は未完のままである。だからこそ原作者の了解を得て映画化する価値はある。現に1978年放送のテレビアニメ版はオリジナル脚本で完結させ、原作に対する不満を少なからず解消してくれた。それと同じ仕事をフルCGアニメで、かつ更に完成度を高めた脚本でやってくれればそれで良いのだ。
 旧い原作に手を出す理由は何なのか。それを成功させるためには何をすべきなのか。
 この手の作品をリブートするときにはもっと熟考してからにして欲しい。これ以上ガッカリするのはゴメンだ。


キャプテンハーロック DVD通常版

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ハワイの若大将(1963年・日本) [2015年 レビュー]

監督:福田純
脚本:笠原良三、田波靖男

 僕にとってのハワイは近いようで遠い。
 初めてのハワイは多分21歳のとき。正月に社員旅行で行った。初めての海外旅行。チェックイン後オーシャンフロントの部屋から見たワイキキビーチの青さに心が震えた記憶がある。
 2度目は多分32歳くらいのとき。これも社員旅行(会社は違う)。ハイアットのそこそこの階に泊まって、まずまずの思いはしたと思うけれど、あまり印象に残っていない。ああ、2度ゴルフしたか。オアフ島はこの2回しか行っていないはず。
 3度目のハワイは新婚旅行のハワイ島。…とハワイは多分これっきりなのだ。その理由は、のちにグアム、サイパン、沖縄の方が海は何倍も綺麗だってことを知り、「ハワイに行く意味」を見い出せなかったことが一番。それと日本人向けのショップやレストランがわんさかあって、ハワイは外国に来た気がしない、というのも大きかった。そうか。だから僕は開発が進んでいない南の島然としたハワイの映像に惹かれるのだな。いいことに気が付いた。本作「ハワイの若大将」を観ようと思ったのも結局はそういうことなのだ。

 若大将シリーズそのものが初見。
 加山さん、若い!細い!歌うまい!セリフ棒読み!(笑)。でも加山さんの棒読みセリフこそが本作最大の“味わい”である。セリフが棒読みであるが故に若大将は「うすらバカ」にしか見えないのだが、うすらバカだからこそ、澄ちゃん(星由里子)にヨットを破壊されても修理代を請求せず、青大将(田中邦衛)に頼まれるがままカンニングをさせて共々停学処分となり、ハワイでは現金やパスポートの入ったバックを紛失し、やはり頼まれるままに青大将の恋心を澄ちゃんに伝えて話がややこしくなるのである。
 つまり、こんなドラマが展開できるのも、そしてそれが許されるのも、若大将がうすらバカに見えるからであって、それはひとえに加山さんの棒読みセリフあってこそ、というワケなのだ。
 個人的には芝居の“間”がないところも気に入った。それはまるでB級カンフー映画で繰り広げられる演武のような対決に等しい。そのため加山さんと“組手”をする相手の役者も、間を排除した芝居を強要されるところが可笑しくて仕方なかった。唯一その間に惑われていないのが田中邦衛さんだ。だから2人の芝居は噛み合っているようで実は噛み合ってなく、若大将と青大将の微妙な関係性を表現するのに役立っているように見えた。

 それにしても、今は見る影もないハワイのロケーションは見ものである。聞けばサイパンでロケをした「南太平洋の若大将」という作品もあるらしい。サイパンには少なからず思い入れがあるので機会があれば観てみたい。

ハワイの若大将 [東宝DVDシネマファンクラブ]

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